■陶工(交趾焼)中村翠嵐を通して見えた「和こころ」

京都に伝わる焼物の中で「交趾焼(こうちやき)」を確立させ、今も進化させている陶芸家、中村翠嵐氏。
トップを走り続けるからこそ見えているモノと、そこに向かって挑戦し続ける生き様に「和こころ」が見えました。

 ■京の焼物の歴史

「今の京都の焼物の歴史はお茶の世界と共にあります。
茶道の世界には、茶の湯に熱心な方、プロデュースする「数寄者(すきしゃ)」という方がいます。

昔の京都は焼物に適した「土」が豊富な土地柄ではありませんでした。
「土」は焼物で最も大切な素材の一つです。
そこで、数寄者と言われる人たちは、自分の気に入るものを作らそうと各地から腕に自信のある人を集め、京都に良い土がないかを探し始めました。
そして、東山・北山・西山の山麓から土を見つけました。
だから安土桃山期から江戸期には盆地を囲んで、山麓からもうもうと煙を上げていたのです。
今でも盆地の周りを囲んで窯があるのはその名残です。

京都の焼物文化は、数寄者というプロデューサーと権力者の強い要望があって職人を集めてきてできた文化です。
焼物という意味で言うなら、京都は決して恵まれた環境のある場所ではありませんでした。
材料がなければ取り寄せる。人手が足らなければ色んな職人がそれぞれの技術で補い合う。
そうしてできたのが京都の焼物文化です。」


■交趾焼の確立

「今では交趾焼専門の職人として生地から手掛けていますが、元々父の代では生地からではなく加工の絵付けがメインでした。
その中で、父の築いてきたものをベースに拡げ、翠嵐の交趾焼を確立するために取組んできました。
今の新しい素材にっ出会って自分独自の挑戦を始めたのは7,8年前からです。

焼物の世界は、素材と釉薬(ゆうやく)と窯の温度のバランスがとても大切。

例えば、水指の蓋に0.3mmの陶板をはめた作品です。そんな薄さだと普通にやったら割れてしまいます。
でも温度を調節してその素材に合った適切な釉薬を使い、研磨の技術を取り入れることで可能になるんです。
敢えて少し出っ張らせたり、貼り付ける陶板の厚さ分を彫りこんで出っ張りをなくしたり、曲がってるところにはめ込んだりもします。

こうした技術は、釉薬が合う合わないがあったり、違う材料との相性、膨張係数や焼き方など、
何度も失敗を繰り返して、試行錯誤して実現した技術なんです。

薄すぎて木の伸縮で割れたり、窯からの出し入れで壊れたりもします。
素材の泥にたとえば和紙の繊維を混ぜたり、プレス機を使って薄い薄い陶板を重ねたり、そこには今まで無かった細かい単位の攻防戦が詰まっています。
昔はなかった新しい技術、普通ではないものを、昔から引き継いだ技術のベースを使って挑戦し続けています。
難しいけど楽しいです。

経済産業省から賞を貰ったり、勲章もいただきましたが、それはもう過去のもの。
今はもっと難しいことに挑戦しています。

でもそれらは父の代からの積み重ねがあったからこそ。
それは決して忘れてはならないことだと思っています。」


■職人としてのプライド

「千年先を考えてるかはわからんけど、一流の職人とかものづくりというのは、どんなことであろうと
自分の持てる世界で最高のものを創り出そうと思っているんだと思います。

僕は職人というのは自分の持てる技術を最大限に発揮して、自信を持って外に出すというのがホンマに大事やと思ってるんです。
昔の人は、そういうのを一生懸命やってました。
僕は父からそういうのを学んだんです。

父の時代、三笠宮妃殿下がある老舗店で、父が手掛けたお皿を5つ買っていただいた時の話です。

当時そのお店の番頭さんが「三笠宮の妃殿下が皿を買わはったからエエのしてや!(特に最高のものを作ってくださいね)」と言ってこられたんです。
父は
「誰に買ってもらっても最高のものを自分としては仕上げてるのだから、これ以上と言われても無理や」
と答えました。」


■「もうちょっと」の世界

「僕が京都伝統産業青年会の副会長をしていた30歳くらいの頃、三笠宮寛仁親王(ヒゲの殿下)が二泊三日で京都の伝統産業の見学にいらっしゃった際に歓迎委員長としておもてなしをしたことがありました。

その時の懇談会の折に、伝統を継ぐと言うことは技術を引き継ぐと同時に、職人の心意気をも継承することが大事であるとの考えをもとに、この話をヒゲの殿下にしたんです。
すると、その皿が見たいと仰ったので、職場見学の折にお見せしたら「これ今でも母が大切に使ってます」と言ってくださいました。
とても嬉しかったですね。

僕は、持てる技術、技法、会得してきたものを最大限にぶつけたものを創り出すというのを繰り返しています。
だからものすごく失敗することが多いんです。

もうちょっとこうなってたらいいのになと思うんです。
その辺で辞めといたらよかったのに、もうちょっとと思ってやったら結果失敗するんです。

他の人にはわからんのに自分の中で満足できひんものがあって、もうちょっとと思って触ったことによって他のところがアカンようになったとか、他の現象が現れる。展覧会前とかホンマにたくさんあるんです。

だけど、そういう持てるものを最大限出していくという姿勢がものすごく大事なんやろなと思います。

それは職人の本能的なもので、ホンマの職人というのはそういうのがある。
そして、それが次の次元に成長していくための力になっているんです。

追及すればするほど自分自身もものすごく高まっていくんです。その結果、自分の中の基準が上がっていく。
相手から言われるんじゃなくて、自分の中で納得できる基準が上がるんです。
だからいつまで経っても「もうちょっと」が無くならない。
いつもひやひやドキドキで新鮮な気持ちでやるんです。

正直、前に手掛けた仕事はもう自分の世界の中では終わったもんなんです。

この配色はもうちょっと変えてみたら違う世界になるかなって。で、いいのができたらそれはもう過去のもの。気持ちは次へ向かうんです。

前に手がけたものをやってるんは、気持ちの上では楽かもしれんけど、新しい何かを創ろうと思った時にはまったく話が違います。

そういう意味では僕は今、これまでの焼物の世界にはなかった素材を使うことで、今までできなかったことができるようになり、それがカタチになってきたところなんで、これをどう進化させていくか、これがとても面白い。楽しくて仕方がないんです。

未知の世界、これからまた「もうちょっとの世界」が始まるんです。

今日本で名工と言われる人は、ふんぞり返ってるんではなくて、みんなが見てないずっと先を見ていると思います。
そこにいるからこそ見える景色を、目標を目指してワクワクしています。」



■受け継いだもの

「僕がこの世界に入る時に父から言われたことがあります。
「お前銭儲けしようと思おてるんか?見てたらわかると思うけど焼物では銭は儲からへんで。
しかしこの仕事は、銭儲けを考えへんかったらこれほどやり甲斐のある仕事はない。一生涯格闘できる面白い仕事や。
お前がもし銭儲けを考えんとやり甲斐があって死ぬまで取組める、そういう仕事をしたいというんやったらこの仕事は良いぞ。

でもな、飯食う心配はせんでいい。犬猫でも飯は食うとる。人間が一生懸命やって飯が食えへんことはない。」

ようやくね、僕自身が親父がこの話をしてた歳になって、親父が言うてた意味がようわかるようになりました。

技術だけではなく、本当に父にはいろんなことを教えられました。

最近では「お父さんを超えましたね」と言われることもありますけど、僕的には「何を言うたはるねん。親父のことを理解されてない!」と思ってます。
まだまだ。父の後ろ姿がいつも大きいんです。」


■これからの焼物の世界について

「僕は職人の世界は変わってきてると思っています。

昔は職人とエンドユーザーを繋ぐ人がいました。でもこの頃は職人が前に引っ張り出されます。
百貨店でも展示会をしたら毎日ギャラリートークをせなならんのです。
毎日来る人もいますから、毎回話の切り口を変えないといけない。
どんなことを目指してるかという質問もよくありますが、そういうのに答えないといけない。

それはひとつの「伝える」という重要なことなんだけど、職人はこういうのが本当に苦手なんです。

本来の職人というのはこんなものをお願いしたい、こんなことできませんかというのにいかにして答えるか、使い手の世界をいかに満足させるかが職人の世界です。

職人が自ら「私がこんな思いでこんなもんを創りました」と伝え、「それいいですね」と職人の世界を共鳴させることが求められる。
前に引っ張り出されるから、一般の人たちにどう見えるか、自分の世界をみんなにわかるように伝えられるか?という本来の職人の世界とは違う能力が求められるんです。

僕は茶道具をつくっているけど、お客さんからこんなものを作ってくださいって言われたら、その人がどんなものを欲しがってはるかを読み取って、作らしてもらうというのが本来のカタチです。
お茶の道具というのはそういうのなんです。
せやけどこの頃はね、僕が作ったものにね、「先生、これはどこで使わせてもらったらいいんでしょう?」と
言われるんです。逆なんです。

どっかで使ってもらえるところがあるかなと思って提案している世界です。
ほんまは相手から聞き出して作るのが本来のカタチなんやけど、なかなかそうはいかない状況になってきています。

これまで職人の世界は技術が満点ならそれでよかった。
でも、それ以外の能力も含めて職人の評価として採点されるから、昔みたいにこれさしたらあいつはもうすごいんやという人が世の中に出られへんのです。技術がなんぼできてもそのほかの部分が苦手やったら埋没してしまう。
そやからホンマの名人はこれからは出てくることはないのかなと思っています。残念ですけどね。

僕は通知簿的にいうと15点満点として技術は3.5の男だと思ってます。自分の想い等を人前でちゃんと話ができるかとか、その他の評価も含めると9.5~10点の男になるんじゃないですかね。

欧米では私たち日本の職人は「職人」ではなく、「アーティスト」として評価され始めています。
日本ではスポットライトが当たることはなく、ただお客の要望に応えるというある意味では立場の低い存在だった職人が、脚光を浴び、その立場が逆転してきていると感じています。

職人の世界は技術だけではありません。考え方、取り組み方、生き方すべてを含めて、代々引き継がれてきた文化の継承と現代の職人の努力による進化で成り立つ世界です。決して一朝一夕でできる世界ではありません。

自分が高まれば高まるほど答えはその先にある。
僕も父が戦い続けた後を引き継いで、その戦いはまだ終わってないません。
まだまだ挑戦したいことはあります。
中村翠嵐として交趾焼を進化させることが、陶工職人としての価値を高め、そしてより多くの方にその価値を理解していただければと思っています。」


■取材を終えて

翠嵐さんは、たくさんのことをお父様から受け継いだと言います。
決して天狗にはならないこと。
一生挑戦を続けること。
失敗を恐れないことなどなど。

そして、そのお父様の教えを実践し続け、その姿を後継者へ伝えています。
70歳を過ぎた今も「ワクワクするんです!」と、「まだまだやりたいことがあるんです!」と眼をキラキラと輝かせて話します。

その結果、本来既にある文化(陶工の場合は茶器)に基づき、顧客の要望を実現することが仕事のはずが、その文化自体に影響を与える、文化を進化させる役割を担っていることに驚きを隠せませんでした。

それは一言で言うなら思いやりの文化の継承なんだと思います。
私は翠嵐さんの言葉で気づかされたことがありました。
「本来の職人というのはこんなものをお願いしたい、こんなことできませんかというのにいかにして答えるか。使い手の世界をいかに満足さすかの世界なんです。」

ただただ、お客さんの悦ぶ顔をイメージして考え抜いた自分の世界観を伝え続けた結果、そこに共鳴した人たちから評価されるようになっただけ。

そこには売上を上げたいという想いは最優先ではないんです。
宣伝費に莫大な費用を使っているとか、マーケティング戦略がという話ではないんです。

「いいのができたらそれはもう過去のモノ。気持ちは次に向かってるんです。」と翠嵐さんは言います。
「誰に買われようが、自分の持てる世界観の中で最高のものをつくり続ける。そのために自分を高め続ける」
それは翠嵐さんがお父様から受け継いでいだ「技術」ではなく「生き様」です。
その生き様が「交趾焼」というブランドを作り上げるための魅力の源泉になっているんだと思いました。

翠嵐さんは、現在も日々挑戦を続けています。
お父様が一生を賭けて続けてきた挑戦は、確実に翠嵐さんに引き継がれています。
そして翠嵐さんもまた終わらない挑戦を続け、その魂を後世に引き継いでいます。

こうした翠嵐さんの生き様から、今私たちが携わる仕事の中に取り入れられるものは何か?
売上至上主義、マーケティング至上主義の現代で、日本人として本当に大切にすべきものがあるような気がします。

■紹介

中村翠嵐(Suiran Nakamura)

交趾焼 陶工

◆略歴
1942年 京都生まれ
2003年 経済産業大臣表彰
「京の名工」京都府伝統産業優秀技術者表彰
2010年 「現代の名工」厚生労働大臣表彰
2014年 伝統工芸業務功労者として「瑞宝単光章」受章

中村翠嵐公式WEBサイト