■宝飾・金工師 牧江文男を通して見えた「和こころ」

ゼロから何かをつくるのが好き。
自分の得意分野を追求し続けることで、牧江さんにしかできない仕事の分野を確立し、今では皇室や伊勢神宮の依頼を受けるようになった。
無理難題でも「ちょっとやってみよう!」の精神で成長を続ける金工師、牧江文男氏の生き方に「和こころ」が見えました。

■最初はゼロからモノを生み出すジュエリー職人

「最初は古いものの修理を手掛けるつもりはなかったんです。元々僕はジュエリー職人です。親父は時計の修理屋だったんです。でも僕はジュエリーの道を選びました。
ジュエリーの製作は、ゼロから作る仕事。時計と分野は同じですが、中身は全然違うんです。モノづくりの中にもいろんな役割があります。ひとつのものをつくるとしても何人かが寄って得意な分野を担当するんです。

何も無理してイチから十まででやる必要はないんです。全部できる職人なんて無理なんやと思います。
そんな中で、僕は小さいものを得意としてたんです。

僕らよりもっと立派な仕事しはる人でも、わしはここまでしかできひんって言わはるんです。
そっからは手が違ういうんかな。ほな、牧江頼むわってなるんです。この部分は牧江君やったらできるやろって。

大きいものを得意としている人から、小さいものを依頼される。
そんな風に他の職人から声をかけてもらってるうちにそういう(古いものの修繕などの細かい加工の)技術が身についたんです。」


■宝飾・金工職人としての楽しみ

昔のものを修理する楽しさとはいったい何なんでしょう?

「正直、あまり商売にはなりません。とにかく時間がかかるんです。
昔はどんな風に作られてたのかなって。誰も作り方を知らないわけですし、作った人はもうこの世にはいませんからね。

古いものを修繕するのは最初、どういう風に作ってたのかを考えることから始めるんです。どうやった作ったんやろ?どんな技術を使ってるんやろ?って。

それがわかった時は嬉しいですね。
没頭していくと、おもしろくなってくるんです。

昔は職人さんは召し抱えられていましたから、時間やお金の制限なく作り続けることができたんです。
だから手間暇かけて、いい仕事ができたんやと思います。

どうやって作ったか、マニュアルがなくても昔に作られたものはできないことはないんです。
でも、時間とお金がかかる。
数珠の復元の仕事の依頼で、3年以上かかるものだってあります。」

■宝飾・金工職人としての難しさ

「作り方さえちゃんとしてれば、再生はできるんです。でも、一番やっかいなのは「美」に対する価値観なんです。
金工ではよく、「一回作ったら一生もんやな」って言われます。

金属は長い年月をかけて、色合いが変わるんです。
最初に作った時は「美」の初歩なんです。100年200年のもんはざらに残ってます。
年月を経て色合いに味が出る。詫び寂びの文化というもんなんですかね。

一生持ってはる金工の修理は新しいもんに変えたからおしまいではないんです。
そんな「美」に対する感覚を理解しながらやるのは本当に難しいんです。でも、僕が手掛けた仕事を見て、褒めてもらった時はすごく気持ちいいんですよね。」

単なる技術だけではない。その裏側にあるモノを読み解く力を追及してきたことが、皇室や伊勢神宮などから依頼が来る要因になっているんですね。

■チャレンジするということ

「僕は、どんな依頼でも、チャレンジしたいなという感覚を持っているんです。」

「商売でやってたら変化がない。でも、したことないことにチャレンジするのは、変化の連続です。
時間もかかるし、無い知恵を絞ってやっていかないといけない。
大変なんですけど、面白いんです。

若い時分は異業種の人たちともたくさんチャレンジをしました。
竹細工職人と一緒に、金属と竹と和紙で照明器具を作ったりしました。
其々の特性を活かしてコラボすることで新しい開発をしていって、インテリア分野にも入っていったんです。

アメリカに行ったときには、当時新しい素材と言われていたチタンデザイナーと出会ったのがきっかけで、日本で展覧会を開いたりもしました。

ご縁があって、茶道の武者小路千家に関わったこともあります。
色んな世界を見てきたからわかることもあることを知りました。

僕は本業は宝飾屋です。でも僕の周りには金属工業、チタン、鍋釜、金銀、プラチナ、銅、真鍮、アルミ工芸までつながっている。
こうしたつながりを大切にしてきたことで、今になっていろんな仕事に生かすことができてきています。」


■仕事へのこだわり

「基本、皇室とかお伊勢さんの仕事は写真が送られてくるんです。実物を預かることはまずありません。写真を見て、どうなってるか判断して作っていくんです。お伊勢さんで言うと、式年遷宮で出た木材を使った扇子の金具の部分を担当しています。

元は関東の方で作ってたらしいんですが、後継者がいなくて職人がいなくなってしまい、僕のところに話が来たんです。
それで、写真を見ながらサンプルを作ってみたら、技術的な評価が圧倒的に高かったらしいんです。」

一体何が違ったんですか?

「僕は、まずは扇子を痛めないつくりにしたんです。本当に微妙なところですが、ちょっとした張りの角度とかが違うんです。
僕らは本体は絶対に傷つけないというのが基本なんです。
金具は傷む部分やから、数十年たったら取り換えられるようにするんです。でも、本体は直すのがものすごく大変。

修理の依頼の時は、金具部分だけじゃなくて、本体の例えば扇子の骨の折れた部分や割れた部分も直すんですけど、
古いもんを元に戻すのは本当に大変です。

だから普通ならゴミにしてしまうような小さい材料も取っておくんです。

そういうちょっとした気遣いを積み重ねてたら、色々仕事をさせてもらえるようになったんです。」


}■大切にしていること

「僕が大切にしてるのは“「ちょっとやってみよか」の精神”です。

日本人は、無いものからいろんなものを発明してきました。無意識やけど、僕はそういうもんを受け継いできたんちゃうかなと思います。

普通は教えてもらったものから離れずに、その枠から出ないんですが、僕のスタイルは基礎を基にして自分で考えるやり方です。

古いものも大事やし、でもそれにこだわってたらやっていけへん。だからアレンジしていくんです。
時代に合わせて新しいものを生み出すのも一つの方法やし、僕がやってるみたいな元々あった古いものを、もう一度甦らせるのも一つの道なんです。

どんなもんでも“ちょっとやってみよか”って挑戦してたら、いろんな知識が身についてきました。
でも、昔のものをそのまま修理するだけではあかんのです。
そこにちょっと、心のこもったものというか、なんか違う「牧江のもの」を入れなあかん。
そうしたら、また、あ、これは違う、すごいなって言うてもらえるんです。」

教えてもらったものをそのままこなすんではなく、もうちょっと、ちょっとが積み重なって牧江スタイルができてきたんですね。

「僕自身もそうですが、今まで弟子も4,5人育ててきました。
僕は基礎しか教えへんのです。どうしても昔の技術でわからないことがあったらもちろん教えるけど、僕の作ったものは教えへん。
基礎を基にして、時代に応じた自分なりのものを作っていけばいいと思っています。」

■取材を終えて

牧江さんは決して驕らない。自分とは違う道を選んだ人たちを認め、自分は自分の信じる道を追及する。
若い頃にはいろんな取組にチャレンジして経験を積み、その経験を自分の道を追及するために活かしてきた。
牧江さんが選んだのは、文化財や伝統を引き継いできた「本物」の修繕。
ただ、修繕するのではなく、その中に牧江さんの心が入ることで、その「本物」の魅力が一層引き立ち、後世に引き継がれていく。

扇子で言うと骨を留めるための部品のひとつでしかないんです。
銘が入るわけでも、出来上がった時に紹介される訳でもない、決して表には出ることがない裏方の仕事。
でもそのほんのひとつの部品を任される職人として、ものすごく考え、最高のものを提供する。
たった数ミリの隙間を空けることが、本体がより長持ちするためにはとても重要なことだったりします。
ほんのちょっとのことだけど、その「ほんのちょっと」が持つ意味を理解し、大切にする姿勢が、日本のモノづくりの源泉なんだと感じました。

牧江さんは決して生まれながらに特別な才能を持った天才ではありません。
経験を積む中で、単なる金工職人の枠を超え、自分だけの場所を創りあげた牧江さんの「志」には、私たちも学べることがたくさんある気がします。

■紹介

牧江文男(Fumio Makie)

京都生まれ京都育ちの宝飾金工師。

京都伝統産業工芸会会員

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