■神仏具木地師米澤正文を通して見えた「和こころ」

石川県松任の宮大工の技術を継承する4代目神仏具木地師。
神仏具木地師とは、お寺の本堂の中にある仏様の家や神社の中にある神輿を製作する職人です。

代々続いたのは技術だけではありません。
時代に流されず、自分の進むべき道を選び、何を後世に残すかを考えている、
神仏具木地師米澤正文氏の姿勢に、「和こころ」が見えました。


■4代引き継いできた「米澤流」

「現在の名称は「覚正庵」ですが、元は「米澤神仏具製作所」です。
初代は石川県松任の宮大工でした。
明治5年、東本願寺が明治9年から再建するために石川県松任から来たのが始まりでした。

6年前、これまでの「米澤神仏具製作所」から「覚正庵」に名称を変更しました。
「覚正」は父親(先代)の法名です。私が4代目になります。

小さい頃から工房が遊び場でしたが、本格的に「神仏具木地師 米澤」の名前を継ぐことを決めたのは中学2年生の時。
時代的には集団就職が始まる直前。周りの友人は商業高校へ進学することが多い中、私は技術を身につけるため、工業高校へ進学。昭和37年、高校卒業と同時に修業が始まりました。

一度外に出て、初代のように技術を身につけようと、奈良の法隆寺の宮大工に弟子入りをしたかったのですが、父親から反対され、「お前は米澤大学に進学しろ」と言われたのがきっかけでそのまま後を継ぐことにしたんです(笑)

私たちには京都に師匠は居ません。初代米澤次右衛門が京都に移住し、創りあげた米澤流の技術は父親ひとりしか受け継いでいませんでした。だから生涯で師匠は父親唯一人です。

修行を始めてからは毎日が必死でした。
万が一、何かが起きて父親がいなくなってしまったらその技術は誰からも教わることができない。
だから、一日、一分、一秒でも早く私自身が技術を習得する必要がある。
そんな想いで、毎日必死に修行をしてきました。楽しさなんか感じる暇はありませんでした。

ただ必死にやってきました。気が付いたらいろんなことができるようになってました。心に余裕ができたのは60歳を過ぎてから。
新しい技法の特許を取ったり、ホームページを作ったり、新しい商品を開発したり。
息子は後継ぎになって20年を超えました。今度は息子に技術を継承していく番だと思っています。」


■職人とは

「職人は寸分たがわず同じものがつくれることだと思います。
神仏具は宗派によって約束事があります。私たちの仕事は決められたものを忠実にやることです。
材料の木材だって自然のもので性格が違いますが、どんな木でも対応するんです。堅くてもやりにくくても対応をするんです。
素材にこだわらず、どんなもんでも同じものができる技術。それが職人の技術なんだと思います。」


■職人は脚光を浴びたらアカン

「伝統工芸の賞をもらったとか、今は職人が脚光を浴びる機会が多くなってきています。でも、私は職人は脚光を浴びたらアカンと思うんです。
職人はモノを作るのが役割です。それを売るのは商人の役割。でも、その商人との連携がうまく取れていないのが問題です。
本来、商人もこうした技術を残すためにもっと考えるべきなんだと思います。何が大切なのか?価格やなくてもっと本質的なもの。
それを理解して、買い手にしっかりと伝えることが必要です。
売る人の心もキチっとしてなアカンと思うんです。そうしたら、買う人も理解できるから。

でも、時代が変わってきました。
生活様式が変わってきて、畳の部屋も減ってきた。仏壇もコンパクトなものが主流になって、漆塗りの立派なものは必要なくなってきました。
色々な要因があるのはわかっていますが、今ある古いものをメンテナンスするには技術の継承がされていないといけない。
必要な時に必要な技術が途絶えてしまっていたら、後世に継承することができない。

京都にもこういう技術を持った職人は数えるほどしか残っていません。
だからどんなに苦しい状況であっても、この技術はなくす訳にはいかんのです。
なくなってしまったらお寺も困るし、仏具屋も困る。
そういう使命感もあるんです。

今は職人自身が動いて脚光を浴びる世の中になってしまっているんです。
ブランディングのために賞をもらうことが重要だと、勲章をもらうために頑張る人も出てきました。
結果として、本当に大切にすべきものを軽視してしまう人たちも出てきています。

私は伝統工芸士(の賞)をいただいたんですが、返上しました。
肩書はどうでもいいんです。
職人は自分に正直でないとアカンのです。

日本には引き継がれてきた技術があるんです。
表面的に捉えるのではなく、その文化の奥にある本質を理解してほしいんです。」


■取材を終えて

米澤さんの仕事場を見せていただきました。神仏具の依頼は設計図がないことが多いそうです。
簡単な寸法のメモ書きや、昔の写真を基に、焼けてしまって金具しか残っていないものを復元することも珍しくないそうです。
米澤さんの話で印象的だったのは、米澤さんの「家」に対する信念です。

先代の法名を取った会社名「覚正庵」。
初代が石川県から京都に移り住んで、築いてきた代々の技術。
それは、米澤家にしかない唯一の技術です。
その技術を引き継ぐために自分の道を選び、今はその技術を後世に引き継ぐために人生を賭けている。
3代もの間積み重ねられてきた米澤家だけの独自の技術を4代目として引き継ぐというのは、実はどの道よりも厳しい道なのではないでしょうか。

米澤さんの生き方には初代から引き継がれてきた「米澤家」としての誇りが感じられます。
米澤さんにとっては、代々の師匠に対して恥ずかしくない仕事をすることが、お客さんから喜ばれることに繋がっているんだと思います。

それは決して技術だけではありません。
米澤さんは、先代の「米澤大学に進学しろ」という言葉がきっかけで神仏具木地師の道を選んだと言いました。
そして、4代目となった今でも、米澤大学を卒業していないと言っていました。
決して超えることができないであろう先代の背中を今でも追い続ける米澤さんの姿勢に、和の心が見えた気がしました。

人は皆、少なからず親の影響を受けているはず。
私たちは米澤さんのようにまっすぐに受け継ぐことは出来るのか、考える機会となった取材でした。

■紹介

米澤正文(Masafumi Yonezawa)

(有)覚正庵 4代目代表

昭和18年    4月4日 三代目正一の三男として京都市に生まれる
昭和37年    高等学校卒 家業の米澤神仏具店に従事
昭和45~48年  京都府仏具(協)工部青年会会長
昭和48年6月  浄土真宗本願寺派一行寺再建時 内陣一式完成
昭和50年9月  (協)京都仏具工芸会として一行寺の内陣荘厳一式完成
昭和50~63年  (協)京都仏具工芸会を設立・理事長
昭和52~54年     京都伝統産業青年会会長
昭和53年11月     第3回京都伝統産業総合展、並びに全国伝統産業青年工芸展・WCC世界クラフト会議協賛展を会長として開催
昭和59年4月     東本願寺にて帰敬式を受け、法名(正秀)を頂く
昭和60年     (有)米澤神仏具製作所の4代目代表者に
平成元年     伝統工芸士に認定される(伝統工芸産業振興協会より)
平成10年5月~19年4月     京仏壇・京仏具伝統工芸士会副会長
平成2年~     京都伝統産業青年会OB会  会長
平成15年~22年7月     真宗大谷派山城第1組 門徒会副会長
平成16年1月~17年12月     京都府仏具(協)組合 木工部部長
平成16年5月~18年5月     京都府仏具(協)組合 監事

・覚正庵公式サイト