奈良県天理市で刀匠として活動する布都正崇(ふつのまさたか)さんにお話を伺いました。

20代から刀匠としての道を歩むことを決断した正崇さん。
刀は単なる飾り物でも、斬ることだけを目的としたものでもありません。
平成の刀匠として、正崇さんが作刀に向き合う姿勢に、日本人が培ってきた和こころを感じました。

想像してみてください。
渋谷のスクランブル交差点で1mを超える切れ味の鋭い刀をみんなが持ってすれ違うところを…

何故、昔の日本人は腰に刀を差していた(帯刀していた)のでしょうか?
何故、いつでも他人を殺傷できる状態で外を歩いていたのでしょうか?

いつ襲われても大丈夫な様に?
いいえ、当時も殺人は重大な犯罪、それほど治安が悪かったわけではありません。

ブランドバックを持ち歩くようなステータスのため?
いいえ、刀はそれほど頻繁に抜くものではありませんでした。

では何のため?

帯刀は、一種の意思表明のような意味だったそうです。
当時、大人として認められる「元服」は15歳くらい。
元服すれば刀を身につける。
帯刀は大人としての責任を持つことを意味していたのです。

刀というと、時代劇の殺陣(たて)を思い浮かべる方も多いと思います。
でも当時、日常生活で刀は簡単に抜けるものではありませんでした。
刀を抜くことは相手の命を奪える態勢を作るということ。
それはつまり、自分も命をかけることを意味します。

だから、刀を持っていても抜かない。
ただし、いざという時はいつでも命をかける覚悟を持っているという意思表示。
愛する人を守ること。自分の生き方に責任を持つこと。
自分の生き様を決めるのは自分自身です。
刀は、「自分に対して恥じない生き方をする」という意思表明の証でした。

正崇さんが刀匠を志したのは20代のはじめ。
親方に当たる刀鍛冶に出会ってから決断するまで、1年以上悩んだそうです。
「どんな形であれ、ケツ割ったらアカン。親方の面倒見たるという気持ちを裏切って途中で投げ出すのはアカン。だから僕もよう考えたんです。」

工房には使い込まれた窯と道具が置かれています。
誰かに見せるためではなく、自分の追求する作刀に最適な環境。

刀の原材料である玉鋼の塊を高温の窯で加熱し、高熱で赤く光る玉鋼を、水を付けた槌で叩く。
最初の一振りでものすごい音が響く。今まで感じたことのない迫力で一気に空気が変わる。
水を付けた槌が高温の玉鋼に当たった瞬間、瞬間的に水が蒸発し、水蒸気爆発を起こす。
この水蒸気爆発で、玉鋼に付着した不純物や元々含まれていた空気が飛び散り、より純粋な鋼になる。
その繰り返しで、鉄を伸ばし、折り返して更に伸ばし、形を作っていく。

依頼主の想いや決意を形にする作業だからこそ、時間をかけて丁寧に。

作刀の技術は、過去の歴史の中で幾度も途切れています。
正崇さんの目指すのは、鍛冶屋が活性化していて名刀と言われる作品がたくさん作られた鎌倉時代の刀以上のものを作ること。
「刀は道具。持つ人の使い方次第で、妖刀にも聖剣にもなるんです。」

実際に正崇さんが作った刀を見せてもらいました。

現代では刀を使う機会なんてほぼありません。
そんな世の中でなぜ刀を作るのか?そしてどんな人がどんな形で依頼をしてくるのか?

それは想いを伝えるため。
守り刀は子孫繁栄を願って親の想いを子に伝えるもの。
代々伝わる家宝の刀は、家としての誇りを背負っていくという覚悟の証です。
会社で持つ刀は企業としての在り方を示すためのひとつの方法です。

「刀を通して出会える人たちとの“縁”を大切にしていきたいんです。」

そんな想いがこもったものだからこそ、ひとつひとつ丁寧に、魂を込めて鍛える。
刀匠として妥協のない姿勢が、その想いを形にします。

一度、本物の日本刀というものを見てみてください。
なぜ妖刀という伝説が生まれるのか?
そのゾクッと鳥肌が立つほどの美しさを体感してみることをお勧めします。

私が生まれて初めて持った本物の日本刀は布都氏の刀でした。
手に取って光にかざして刀身を覗き込んだ時、その地鉄(じがね)の美しさに魅了されました。

そして、まるで刀に問いかけられているような感覚になりました。

ーお前は自分の人生に責任を持っているか?
ー自分の生き様を誇れる生き方をしているか?
ー刀を持つにふさわしい覚悟を持って生きているか?

もちろん、今自分の生活は自分で責任を持って生活をしていますし、後悔しない生き方をしてきたつもりです。
でも、改めて考えると…まだまだ覚悟が足りない気がしました。
昔の日本人は15歳で自分の刀を持っていた。それが当たり前の時代があった。その圧倒的な覚悟は純粋にすごいと感じました。
そして、胸を張って自分の刀を持つことができるような、そんな生き方をしたいと思いました。

発展する文化の中でも忘れてはならない日本のこころ。
ひんやりと輝く刀身から、そんな和こころを感じました。

刀の見方でとても重要なポイントは、刃の部分に波のように浮き出る模様「刃文」です。

正崇さんの刃文は二種類あります。
パッと見で見えるのは研ぎ師が刀を研ぐ過程で作る仕上げの刃文。
これは化粧をしているようなイメージ。

さらにその裏には、刀鍛冶が作ったもう一つの刃文が隠れているんです。
強い光にかざして柄の部分から斜めに見る。
すると、外側の刃文の裏にうっすらともう一つの刃文が透けて見えるんです。
これが化粧の下にあるスッピンの刃文。

光を楽しむという、宝石や虹と共通のものがあるんだと正崇さんは教えてくれました。
キレイに整えられた刀研ぎ師の技術が光る外側の刃文と、その裏にある武骨で気迫あふれる刃文。
その二つの面を楽しむという、一見しただけではわからない部分へのこだわりを知った上なら、
きっと刀の魅力があなたにも伝わると思います。

 

布都正崇(Masataka Futsuno)

2000年(平成12年) 刀匠 河内隆平に弟子入り
2005年(平成17年) 文化庁 作刀認可を受け刀匠「周麿」 として作刀を開始 新作刀展、お守り刀展への出品など活動を始める
2011年(平成23年) 刀匠 正崇 と改名 鎌倉時代の刀工の飽きの来ない刀を目指し、一期一振り〈一期一会〉の精神で作刀しています。

布都正崇鍛刀場公式WEBサイト
公式Blog「刀鍛冶のしごとと日々の暮らし」(※刀匠を支える奥様が書かれています。)
布都正崇facebook

Writer

masaya

八田雅也 Masaya Hatta

KAZOO(カズー)代表
ジャンルにこだわらず、魅力的なものを見つけ繋げる企画師。京都と東京を中心に活動中。
軸を持って生きる人、かっこいい生き方をしている人を探しています。