日本の和太鼓ブームの原点を作った「鬼太鼓座(おんでこざ)」を訪ねました。
魂の波動を太鼓の波動に乗せて伝える。ショービジネスで有名になる「夢」ではなく、太鼓にこめた「志」を貫き通すことを追求する人たち。
彼らの生き様の中には、たくさんの和こころが詰まっていました。
鬼太鼓座のデビューは1975年。
アメリカ、ボストンマラソンに座員全員で参加、42.195km完走後にゴール地点に用意した三尺八寸(直径約1m45cm)の大太鼓を全力で叩くというパフォーマンスがきっかけで、世界に日本の太鼓が知られることになりました。
現在も世界的な人気集団として年の半分は海外での公演を行いながら精力的に活動しています。
そんな鬼太鼓座の拠点の一つ、秩父の山奥にある廃校になった小学校を訪ね、彼らの生活を体験しました。
「なんじゃこりゃー???」それが第一印象でした。
室内のガラスが割れるのではないかと思う程のものすごい大音量と身体の芯に響く空気の振動、圧倒的な迫力。
至近距離で感じる鬼太鼓座の太鼓は、最初はとてもうるさく、耳をふさぎたくなりました。
でも、そんな太鼓のリズムの中に身体を委ねていると、だんだんと感覚が変わってきます。
言葉ではうまく説明できないけど、気持ち良いんです。
1日の最初は毎朝6時、10kmのランニングから始まります。
鬼太鼓座の根源は「走楽論」。
「走ることは音楽と一体」というほど、走ることにも重きをおいています。
訪れた世界中のあらゆる場所で走り、その土地を感じる。そのスタイルは鬼太鼓座ならではです。
公演場所も様々です。軍隊に護衛されながらの公演、イベントステージ、ホール、スタジアムでの公演はもちろん、時には街中でストリートチルドレンと共に演奏したり、田んぼの真ん中で演奏したり。
国境、人種、年齢、性別、職業、社会的地位など、あらゆる境界を超えてつながる。
テーマは、「鬼太鼓座の旅は地球の夢」。
頭ではなく、実体験を通して感じることをベースに活動を続けるとても魅力的な方々です。
一音成仏(いちおんじょうぶつ)という考え方。
自身の信念をこめて音を出す。きれいな音楽ではなく、魂の波動を伝える音楽。
その気持ちが観客の心を動かすんです。
演奏を聴いた人たちが「なんだこの振動は波動は??」と感じて鳥肌が立つ。
「表現に対してこだわりのある人たちには伝わるものがあるんです。
これが無くなったら鬼太鼓座は鬼太鼓座ではなくなると思っています。
聴いて感じて理解してくれる人達がつながってくれることが、私たちの原動力になっています。
鬼太鼓座が伝えるべきことは、日本人が地球をどう理解しているか、です。
それを場所にこだわらずどこでも伝えていく。」
言葉では表せない、感覚的に感じられる魅力。是非一度、彼らの打つ太鼓から伝わる魂の波動を感じてみてください。
代表の松田惺山氏は「私たちは和太鼓奏者ではありません。」と言います。
「太鼓は原始的な楽器で、ただやるだけでは本当にうるさいだけのつまらないものなんです。
鬼太鼓座はそれを超越しなければ存在価値のない存在だと思っています。
和太鼓はそもそも寺社仏閣、郷土芸能で使われていた芸能でした。
そんな太鼓をデフォルメして舞台表現として展開し始めたのが鬼太鼓座です。
ボストンマラソンで世界的に認知され、ワールドミュージックとしてビジネスなったため、現在ではたくさんの和太鼓パフォーマンス集団が出てきました。でも、鬼太鼓座は独自路線を突き進んでいます。
ショービジネスとしてスターになることよりも、太鼓で私たちの思う「和の心」を伝えることを優先してきました。」
「ボストンシンフォニーとの共演でも、私たちが一発音を出しただけでボストンシンフォニーの楽員は、みんな耳を塞いでしまいました。
でも我々の太鼓には、うるさいんだけど音楽家だったら影響を受けるような音の響きがあるんです。
皮膚感覚から入ってくる日本的なサウンド。オーケストラもそれを理解したんだと思います。
最終的には、我々に強い興味を持ってくれて、早朝のランニングを一緒に走り始める楽員も出てきました。
自分のエネルギーを太鼓にぶつけて音として届ける。
その覚悟と志があれば、理解してくれる人は必ずいます。」
アジアを含めて世界を旅した鬼太鼓座として、2014年あぜ道回帰で原点に戻り、もう一度踏み出しました。
さらに鬼太鼓座は、ここを出発点として、東京オリンピックの開催年であり結成50周年となる2020年に、
日本人なりの考え方を持って地球巡礼の旅に出ます。」
数百万人、数千万人に受ける音楽を作るのではなく、少数でも本当に理解してくれる人たちを大切にし、その人たちとつながる。
心の交流を最大の価値として世界中を回り、日本人としての誇りと太鼓に懸ける「志」を世界に伝えていく。
そこで得られる何事にも替え難い経験を、鬼太鼓座の物語として語り継いでいく。
それが鬼太鼓座の文化となり、代々引き継がれていくんだと思いました。
団員の方々に「何故鬼太鼓座なのか?」と質問しました。
「初めて鬼太鼓座を見た時、その迫力に圧倒されました。感想は“何じゃこりゃ???”でした。
言葉では上手く伝えられないんです。その“何じゃこりゃ???”を自分も観客に届けたい。それが鬼太鼓座である理由なんです。」
音頭取の松田さんは、鬼太鼓座が届けるのは「太鼓の演奏」ではなく「魂の波動」だと言います。
私たちが立ち会えたのは20分間打ち続ける練習でした。
太鼓から2メートル程度の距離でその音を体験しました。
もの凄い爆音で鼓膜には厳しいですが、身体の芯に響く感覚はとても心地よく、心が洗われる気がしました。
鬼太鼓座は2014年「あぜ道回帰」というテーマで、ホールではなく、野外で太鼓を打つスタイルも取り入れてきました。
世界中を回った時も、太鼓の音に合わせて海外の子供たちが踊り出すそうです。
言葉は通じなくても、太鼓に乗せた想いが通じ、コミュニケーションが成立する。
ヨーロッパでは、最初の演奏でうるさ過ぎて耳を塞いだ共演者たちが、翌日のトレーニングに参加し始める。
ただ単に世界で公演をするわけではない。
それぞれの地域に入り込み、現地の人たちと太鼓を通じてコミュニケーションをする。
それだけの想いを持っているからこそ、観客の心に残る演奏が実現し、公演の数だけ物語が生まれるんじゃないかと思います。
鬼太鼓座の実体験に基づいた世界行脚の話がとても興味深く感じる理由がそこにある気がしました。
私たちの仕事の中でも、ただモノを売るんじゃない。サービスを提供する先に何があるのか?
改めて考える機会になった取材でした。
鬼太鼓座(おんでこざ)
鬼太鼓座は1969年、故 田 耕(でん たがやす)の構想のもとに集まった若者達により佐渡で結成。
その活動の根源にあるのが、「走ることと音楽とは一体であり、それは人生のドラマとエネルギーの反映だ」という「走楽論」である。
富士山麓・和紙の里東秩父村・会津村と、3カ所の鬼太鼓座合宿所にて、毎朝6時からの10kmランニングに始まる合宿生活を送っている。
また2006年からは「ミュージック&リズムス」と題した活動を開始。
竹を利用して創作楽器を作る等、和太鼓のみにとらわれない表現の可能性を追求しながら、「音楽体験を通じて世界中の子供達をつなぐ」試みを行っている。
松田惺山(Seizan Matsuda)
尺八演奏家 / 鬼太鼓座 音頭取 / NPO法人ミュージック&リズムス 理事長 / NPO法人バンブーオーケストラ 理事
東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院音楽研究科修了。
鬼太鼓座・Bamboo Orchestraを軸に、子供達との竹楽器作りワークショップ・演奏を行う企画[ミュージック&リズムス]を世界各地で展開。
日本の文化・日本の音を国内外問わず地球全体へ届け、エンタテインメントを超越し無名性が原則の表現を追求している。
「粛々と生命(いのち)吹き鳴らす」を信条とする。