金彩はキモノづくりの最終工程。出来上がったキモノに化粧をするようなもの。
多すぎるといやらしくなる。少なすぎると寂しくなる。キモノの性質に合わせて華やかさを演出するのが本来の金彩の仕事。
でも、殿村さんは少し違う。
「金を貼れるもんはナンボでもある。」
ベースは京友禅のキモノに金彩を施す金彩工芸職人ですが、今や金彩の技術を使って様々な新しいものを創り出すデザイナー、クリエイターとして活躍する殿村元一さんの生き様に「和こころ」が見えました。
「小学校3年生からこの仕事をやらされて育ちました。
父親は金彩と友禅の両方をしてたんですが、後を継ぐとき、こっちの方がいろんな可能性があると思って金彩を選びました。元々はキモノの金彩しかやってませんでしたが、今は行燈(あんどん)とか屏風とかジーンズとか、金が使えるもんやったら何でもやってます。
金は入れすぎたらやらしくなるし、少なすぎたら寂しくなる。
一言で金色といってもいろんな色がありますから、その辺は感性なんです。
お化粧と一緒ですね。金彩はキモノのメイクアップアーティストなんですわ(笑)
小学校までは〝糸目〟て言うて、色が外にはみ出さんようにゴム糸目で縁を描いてっていうのをやってました。中学校からその他の技術を身につけていった感じです。
たとえば模様を描いたフィルムを布の上に貼って、布を傷つけんように型に沿って上手いこと切っていくんです。切ったところに糊を入れて金を圧着させる〝エンブタ〟っていう行程とかね。
仕事の進め方としては初めに桝見本というキモノの一番前に見える部分の見本を作って見せるんです。
それで納得してもらったらあとは全部お任せです。
昔は京都にも160軒以上金屋(金彩職人)はいたんですが、今は30軒ほどになりました。」
「昔から機械が好きでね、自動車整備とか竹細工をやる竹屋さん、ボーリングのピン磨き、カメラマン、家出した時は皿洗いもやりました(笑)ホンマは働きに出たら仕事せんでもええかなと思ってやってたんですが、結局帰ってきたら夜中まで仕事してました。
せやからこの仕事は趣味みたいなもんなんです。
仕事せんならんという感覚や無しにワシの中では遊びみたいなもんです。
若い頃は3日くらい徹夜してやったこともあったけど、それでも仕事は嫌やなかったしね。
ワシら毎日毎日飯食うて風呂入って、毎日が仕事漬け。休みたいて思ったこともないし、調子悪くても関係あらへんのですよ。
みなさんからは「かんばってますね」と言われるけど、ワシらは頑張ってる感覚はないんです。
仕事は楽しい、趣味としてやってはってその後にお金が付いてくる。趣味でお金がついてくる。
一番いい仕事なんちゃうかな。エエ仕事に入ったと思いますよ。
毎日楽しいしようと思ってやってるし、それだけですわ。」
「最近は机や小物入れ、ジーンズや行燈、金が使えるもんには何でも挑戦してます。
薬品を使って色むらを出したり、もう一回おんなじことせい言われてもできひん一点もんですわ。
これまでの技術をベースにいろんなアイデアを出していろんなものに金彩を活用してるんです。その時の気持ちでいろんなことをやってます。
でも、最近は周りの人がみんな褒めてくれはるんです。
けなしてくれはらへん。それがオモシロないんです。
ここが違うでとか言うてくれはったら勉強になるんやけど、『うわ、ええな』としか言ってくれはらへんから、段々人に見せんようになってきて…
もっとけなしてくれはったらもっと進化できたと思うんですがね。
昔から運がよくて、人に指図されることが少なかったんです。
みんながお膳立てしてくれる。
こんなことしろって言う人もおらんし、やったらみんな褒めてくれるし、全部独自でやってますわ。
やってみて、それを使って何かやりたいという人が現れる感じです。
あれよかったし、こっちでもやってってね。
『金は糊付いたらなんでも貼れるから、何でもできるんや』って思ってから普通の金彩屋さんに依頼してもできひんもんでもやるんです。嫌っていうのはいややしね。貼れるもんやったらなんでもやります。ガラスにも貼れるし、金属でも木でもなんでもやります。
ありとあらゆるもんに貼らせて貰った。
切り株のテーブルは、正月のほんの半日使う用に作りました。行燈(あんどん)は裏側に金を貼ってわざと破って、電気つけた裏側の模様が浮き出るようにしたり。金箔を使ったメッセンジャーバッグも作りました。
全部土台から作ってます。
たまにミシン屋さんとか木工屋さんとか言われますけどね(笑)
ずっと前にやって売って、、、追加の注文もあったけど、飽きました。」
「新しいことを発見したいというのがすべてのモチベーション。
誰もやってないことをやりたいんです。
無茶ブリする人がおらんから自分で無茶ブリをし続けてる。
作家なんやと思います。
新しいことをやってみて、できた時はできたと思って嬉しいんですけど、おんなじ注文を貰った時は飽きてるんですわ。
人からこんなんできひんのかなというのは、難しいことを言うてきはったらやってみよかと思うんですが、大概のことはやったことあるんです。
ジーンズもそうです。
最初10枚依頼されて作ったんですが、20枚追加で注文来たんですが、断らせてもらいました。
勝手に真似されて、やったことない仕事の修理の仕事が回ってくることがあります。
真似はよくされるけど、誰かの真似はしたくない。
特許取っといたらよかったと思うこともいくつかありますが、おんなじもんを何べんもするのはいやですわ。
一番変わったもんは、本願寺の磬子(けいす)に金箔を貼るのでした。これが重い。
二回目小さいのがきた時は、やり方を他に教えて仕事を振りました。
良い金にはなったんですが、嫌なもんは嫌やしね。
お金はもらえるんですけど、最初に一生懸命やってたからもう飽きてて、やりたくないんです(笑)」
「みんなこだわりは持ってるんかもしれんけど、自分的には特にこだわりは持ってへんつもりでいるんです。
今まで自分で完全に納得できるもんはできたことがないんです。全部60点70点くらいのもんちゃうかな?
職人てそんなもんちゃうんかな?
100点やっていう職人がおったら、その人はおかしいと思うんです。
ホンマに納得いく仕事、100点満点の仕事なんか、一生、二生あってもできませんわ。
本願寺の修理やら、紀子さまのキモノもしました。
まぁ、そんなん自慢するつもりもなかったし、何の資料も残ってないんですけどね。
ベニヤ一枚分くらいの机を作ってお寺にあげたんやけども、どこのお寺にあげたかわからへんねん(笑)
京都市長賞ももらったけど、最初は飾ることもしてませんでした。
ワシにとっては少林寺で五段取った時の賞状の方が自慢したいんですわ。」
「息子もいずれ作家にさそうと思ってるし、今は土台をしっかり作ってるところです。
中学から練習はさせてますし。15年くらいかな。基本のとこだけをやらしてます。
みんな儲かる部分しかさせてもらってへんから、未だに組合の子らはできひん人が多いです。
こういう基本的な儲からへん部分をしっかりとやってるのは少ないんです。
土台がしっかりしてたら最低限の仕事はできる。
周りから勝手に言うてきはるさかいにワシは昔から営業活動もしてません。
金屋言うのはおんなじ材料渡しても作る人で全部ちがうもんになります。
これにもなるし、あれにもなる。
せやから技術はできて当たり前。あとはセンスやというのを組合の若いもんには教えてます。
作家活動に関しては、この先にもいろんな広がりがあります。
まだまだやりたいことはたくさんあります。
教えてもできない技術があってまだまだ可能性があって、やりたいことはいっぱいある。
ホンマに面白い世界です。」
「今は京都でも数人しかできひんことをやってますが、教えてもらったのは基本的なことだけで、あとの技術は独自の試行錯誤の結果です。
親父もこんなことができるとは思ってはなかったと思います。
独自のことを仲良くしてる人には教えてますけど、教えてもできひん人が多いんです。
最初は息子に後を継がせるつもりはなかったんですが、ワシのしてることは難しいてできひんてみんな言わはるし、別の仕事をしてた息子に手伝ってもらうようになったんです。
技術は教え込まれたというよりも、せなしゃーないということで身についたもんが多いかもしれませんが、センスを磨くにはもっと遊ばなアカンと思います。
ワシは少林寺もやってるし、(女房に怒られながら)いろんなとこに遊びにも出たし、業界にこだわらずいろんな人を知ってるんです。
井の中の蛙は嫌いやし、常にいろんな人と話してみようと思ってましたね。
どうしても井の中の蛙になるとそれだけで自慢してしまうさかいにね。
何作る時もひとつひとつの仕事を大切にしています。
葉っぱが大事、花が大事。ひとつも手を抜くところはない。足すのはなんぼでも足せる。
スカッとするもんをつくるには適度に手抜きをせなあかんのですけど、如何に空間を活かすかというのが今でも難しい。
空間が怖いんです。何も入れないという決断をすることが大切。
普通は友禅屋さんでも金彩屋でも、図上げ屋さんに対してこういう風な絵を描いてくれって依頼するんもんやけど、ワシとこは最初の図案から全部やってます。それが当たり前やと思ってやってきたし、センスを活かすにはそれが一番なんです。
今はキモノ屋の女房でもキモノを着ない時代。
業界的には間違いなく段々廃れて来ています。せやから金彩の技術を他のものに活用できないか一生懸命考えてます。息子のためにもね。
キモノだけにこだわってたらもうすぐ終わるけど、金彩という技術の可能性はまだまだあるんだと思ってるんです。パッと華やかになったり、ぐっと渋くなったり、金属感が出たり、本当に面白い世界です。」
殿村さんが目指すのは金彩職人としての頂点ではありません。
もっと先を見ている。守りの姿勢を持つ人が多い業界で攻め続けるその姿勢に驚きました。
伝統文化と言われる業界は今どんどん縮小傾向にあります。
多くの職人が後継者問題に悩んでいます。
でも、殿村さんは全く違うものを見ています。
金彩というキモノ文化と共に引き継がれてきた技術を、現在の生活にどのように活かせるか?
金彩の持つ可能性を信じ、常に考え、アイデアをカタチにしてみるという作業を繰り返しいています。
一般的な金彩の枠を飛び越えて、金彩の技術を使った新しい文化を創造する。
技術を持つことがゴールではなく、その技術を持って何をするか?
トップを走るからこそ見える世界がそこにあり、その目標を達成するためには技術の習得は単なる通過点でしかない。
だから一度作ったものには興味がなくなり、その技術は習得できた。次行ってみよう!と考える。
殿村さんのスピードは今も衰えていません。
こうした姿勢はきっとアスリートや起業家にも共通する部分だと思います。
自分で設定した目標をクリアするという作業を続けることで進化し続ける。
その覚悟の大きさが人をひきつけ、評価につながっている。
誰かに必要とされるための「大切なもの」のひとつを殿村さんは確実に持っていると感じました。
殿村元一(Motokazu Tonomura)
フリーランス伝統工芸士
金彩師
1947年3月9日生まれ。
1972年 父の家業である金彩工芸を独立開業
1988年 重要文化財「天球院」にて個展開催
1989年 「第十六回金彩工芸展」にて「伝統的工芸品産業振興協力会会長賞」受賞
京都府主催「和の風、時の風」に”金彩和風机”出品
京都「春光院」にて個展開催
京都「弁財天、玉台寺」へ金彩机他寄贈
1996年 「伝統工芸士」通商産業大臣認定資格伝統工芸士 (京都友禅手描部門)認定を受ける。
京都手描染工業協同組合連合会作品展において「京都新聞社賞」受賞