京料理とはおいしい料理だけではない。季節を感じる空間、お客様に合わせた器、全てのバランスがちょうど良く融合したものが京料理。

技術だけではなく、配慮、思いやり等、見えない部分にこだわりを持つからこそ数十年の修行が必要。長い修行の期間を超えて見えるものがある、決して一人では完成しないおもてなしの極意。

時代の流れと共に変化する中で、残すものと変えるものを試行錯誤しながら京料理の伝統を守る、京料理藤やの女将 藤谷礼子さんと料理長 遠藤大輔さんの生き様に「和こころ」が見えました。

藤谷礼子(以下「礼」)「昔は京都という土地は新鮮な食材が仕入れられへん土地でした。そんな中で新鮮じゃない食材でも目で見ておいしく感じるような工夫をされてきました。きれいで、歳時記に則ったり、四季を目で見て感じられるような文化として発達してきたんです。

器をひとつ取っても酒杯も徳利も全部手描きの上等なものを使います。薄いからすぐに割れます。
でも、それが“京もん”としてのこだわりなんです。

昔の板前さんは、京都の水、京都の空気、京都で育った食材で作るのが京料理。だから京都以外の土地に持って行って作ったら京料理じゃなくなってしまうって言うたはります。
今はどこでも“京料理”って言うて広めていますけどね。時代が変わって、今は新鮮なもんがすぐに入ってくるので、「目で見てキレイ」に加えて新鮮で食べておいしいというものになってきました。

もちろん温故知新で、どうしても崩せへん一線ていうのを必ず守っていますし、そこを崩してしもたら京料理、懐石じゃなくなってしまうという部分もあります。

ただ、料理の中でも勿論、しつらえ等でも必要とされるものが変わってきています。
そんなん含めて時代と共に進化していくのも京料理ちゃうかなと思います。

遠藤大輔(以下「遠」)「京都という空間としつらえであったり器、具材、出す順番とか全部なんですけど、全部が一体とならないと京料理になりません。掛け軸があったり、いろんなものがあって完成されて、出す人もそうだし、作る人もそう。

京料理っていうのは料理だけではなく、全体を指していると考えています。

全部の根っこにあるのは“思いやり”なんです。
だから、私はこれが京料理ですって押し付けるのは違うと思うんです。この頃はニーズによってはちょっとお肉を出したりもしますし、出し方の順番をちょっと変えてみたりとか、お客さんによって変えています。

ただ、しつらえ等はやっぱりなくてはならないものです。
何でお正月にこれをいけるんやって言ったら、雰囲気でパッと季節がわかるからです。掛け軸でも季節によって全部変えます。

お客さんのおみえになる目的によっても、器から箸置きから全部変えます。そのお客様に喜んでいただくためにすべてのしつらえ、料理が変わっていく。
そういう思いやりの心が京料理違うかなって思っています。
100%喜んでもらえるかはわからへんけど、それを一生懸命追及してやっていきたいですね。

今の板長は38歳。まだ若いですけど評判が良くて、そういう部分をちゃんと理解してやってくれています。」

「私は、天保から200年くらい続く貴船の料亭旅館で育ちました。
手伝いはあまりさせてもらえへんかったけど、高校生になった時に私服のまま下足番とか洗いもんとか、下働きで手伝っていました。キモノで出させてもらうのは一度もないくらい厳しいところでした。

神戸から嫁いできた母がやり手で、高度成長期と共に店が忙しくなって、先祖からの館(料亭)を父と共にすべて新しく立て直すくらいようやらはった人だったんですが、私が20歳の時に父が亡くなり、色々あって貴船の本家を離れることになりました。

当時、私はお嫁に行くと思っていたし、この仕事を継ぐ気は全くありませんでした。
母もこんなしんどい事はさせたくないって言っていましたし。
京料理からはそれから約5,6年、完全に離れました。大学卒業して、一旦東京に嫁ぎました。」

「でも、離れると「やりたい」と思うようになりました。板前さんを見たら血が騒ぐんです(笑)
小さい時から板前さんが6人7人いる中で育ってきたから、ご飯食べに行っても、調理場の匂いと板前さんの姿をみたら血が騒ぐというか、心がザワザワするんです。

結局、東京の生活は2ヶ月で終わりました。
京都に帰ってきて改めて人生について考えた時、「やっぱり京料理をやりたい」って思いました。
貴船に戻る話も出たんですが、最終的に私が26歳の時に母と二人でここ(木屋町)でゼロからお店を立ち上げようって決心しました。

そこから28年、ほんまに大変でした。でも、今の板長に出会って、今は毎日楽しんでお仕事させてもらってます。」

「私は藤やに来て2年になります。板前になって20年。故郷は茨城県ですが、ずっと京都です。」

「懐石料理に限っては、京都に来るとハクが付くというか、京都で修業したっていうのは一つのブランドになります。京都で修業しないと“ホンマもん(一流)”にはなれへんて言われるんです。」

「板前というのは間口がとても広いです。入るのは簡単で最終的に生き残るのはとても難しい世界です。」

「今はほとんどが専門学校卒になりましたが、昔は『こがい』といって中学卒業してすぐに板前修業に来る子を預かって一人前になるまで館(料亭)が責任を持って育てていました。実践で覚えることがほとんどなので、現場でおやっさん(師匠)について仕事を覚えるのが一番早いし、結局それしかないんです。

小さい頃から見てきましたけど、板前の修行はほんとに厳しいです。若い子らが裏手の川で泣いているのを何度も見てきました。

一般的に板前は、若い時にいろんなところを回って修行します。
例外はありますけど、いくつかの館(料亭)を回っていろいろな料理を覚えて腕を磨き、自分の下のもん(弟子)を連れて、最終的にひとつのところに落ち着くことが多いです。

ただ、館(料亭)ごとに個性があるので合う合わんがあります。
時間をかけてじっくりと、店の雰囲気と板長の料理が合致してきて、心を通わせていいもんができてくる。そこまでいくには幾つもの壁を超えないといけません。

そんな思いをして、何人も脱落していって、それでも耐えて、残って板長になる。そんな世界です。」

「当時は京都に知り合いもいなくて、本当に大変でした。
脱走する子は今でもいますけど、私は脱走できませんでした。田舎から出てきて一年で帰るのもカッコ悪いし、20歳で結婚していたので逃げるという選択肢がなかったんです(笑)やるしかないって。

そんな中で藤やさんに出会えたのは本当にご縁です。」

「いろんなスタイルがありますが、ウチとこは貴船の時代から代々、板長を置いて若い板前さんを育てていくというスタイルでした。板長さんに対しては昔から特別に厳しい目でも見ますし、そのかわり調理場を一番の存在として重きを置くというのが身に染みています。

だから板長は料理の腕は勿論、館(店)の要ですので、いかに一緒に“お客様に喜んでいただける京料理“をつくり上げていけるかというのが大切だと思っています。

ホンマに苦労しました。板長って特にこの業界の京料理、懐石料理の板長は、経験を積めば積むほどものすごいこだわりで融通が利かない職人気質の人が多いんです。

勿論板長(遠藤さん)も職人気質の部分を持ったはりますけど、ちゃんと私のいうことを聞いてくれます。こだわりが強すぎて、女将の意見を聞かず、頑なに自分のやり方だけを通そうとする人が多いんですけど、そうじゃない。女将としては、お客さんの要望と調理長のこだわりの間に挟まれて、どうしようってなるのが一番辛いんです。

何か一つ欠けてもアカンので、うまいこと和が保てるようにお店全体を見るのが女将の役割。調理場と仲居さん、備品もそうですし、お客さんも全部の調和が取れるように配慮をしています。

だけど、ウチは料理屋なので一番の要は板長です。
だから、私(女将)の意見にも耳を傾けてくれる板長(遠藤さん)はとても素晴らしいと思っています。それくらい板長との関係は深くて大切なんです。」

「板長(遠藤さん)とは毎日一緒に仕事をして、仕事に対する姿勢も見てますし、板長の人柄を理解してるから私は基本、板長の料理に自信を持っています。
だからお客さんが言われたことは受け止めますけど、板長に指図することはありません。

お互いに完璧ちゃいますから、もちろんぶつかる時はありますけど、基本的に自信を持って、堂々とおもてなしできるのも板長の料理がおいしいからです。『これまずいんちゃうやろか』ってビクビクしながら接客すると、全部伝わってしまいます。

結果的に自分の思ったおもてなしもできません。
料理ですから『ウチはおいしいですよ』ていうのが前提で、初めてきちんとしたおもてなしができるんです。

今私たちが目指してる京料理は一人ではできません。それを補えあえるパートナーとして二人がいる。
そして欠かせないのは調理場にいる子たちです。みんな含めて、みんなが一生懸命やってくれへんかったら、私の目指す京料理はできません。

今はとてもいいタッグを組めている状態です。板長とのいい関係が築けるようになって、より高度なおもてなしにも挑戦できるようになってきました。
やっていることは前より難しいですが、より楽しいんです。

今は一生懸命楽しく、厳しさと楽しさを両方織り交ぜながら、仕事ができています。
今が一番幸せかもしれません。」

「完璧を目指してはいますけど、まだまだ足らない部分があるので、クレームもあります。でも、言うてくれはるお客さんは宝物みたいに大切なんです。

言っていただけることは、ひとつひとつ真摯に受け止めて、もっと喜んでもらおうと思っています。
それしかないんです。喜んでいただいて、あーまたここに来たいなって思ってもらうしかないんです。

ウチとこは昔からの常連さんが多いので、「自分は藤やを育ててる」って思ってくださる方が多いと感じています。だから細かいところを言ったら、「藤やさんにしてはトイレットペーパーが安すぎる。」とかご指摘いただいたこともありました。

料理については量が多いとか少ないとか、そもそも料理が気に入らんと言われることもありますが、その言葉を受け止めながら、板長の想いも尊重できる状況をつくれるように試行錯誤しています。」

「何かに気を遣い過ぎたり、合わせようとし過ぎると、自分自身がもうぐちゃぐちゃになってくるんです。そうなると本当に味もばらつきますし、盛り付けにしても器を選ぶにしても迷いが出てくるんです。味がぼんやりしたり強すぎたり、全部お客さんに伝わってしまいます。

だからやっぱり自分が良いと思ったものは何を言われても出します。
お客さんをイメージしてつくっていますが、自分の中で絶対に曲げたくないものはあります。」

「板長は料理を作り上げていく人です。私はそういうのはできません。

だから私の役割は“おもてなし”です。
お客様の表情や動き、しゃべり方等、その日パッと会った時の雰囲気で大体の状況を察知して、お客様にとって一番気持ちいい時間を提供したいと思っています。

“おもてなし”はとても難しいです。お客様の体調によっても違うし、来られるお相手さんによっても違う。同じお客様でも日によって全然違う対応が必要です。

細かい部分は祖父や母から教えられたのがベースになっていますが、私が大切にしているのは『心が通ったおもてなし』です。

なので、常に自然な対応を心がけています。
「お客さんが黒だと言ったらなんぼ白くても黒って言いなさい」という考え方ではお客さんと心が通わへんと思うので、自分が違うとかおかしいと思ったことは、きちんと「私はこう思いますよ」って伝えるようにしています。

私は人見知りなくせに、本当によく来てくれるお客さんは家族みたいな気分になってきて、感情移入してしまうんです。砕けすぎてしまうんです。だから自分なりに心掛けているのは、キチンとするところはキチンとする。砕けるところは砕けるというメリハリを持った対応です。

もしお客さんが怒って帰ってしまわはったら私耐えられへんやろなという怖さはあります。もし自分の対応が間違っていたらどうしようと。でも、私は心が通わないとお客さんは喜んでくれないと信じています。
「心を通わせたい」という私の態度が伝わると、そのお客さんはお得意さんになってずっと来てくれはるし、そういうのの積み重ねで心が通っていくうちにお得意さんができてきたと思います。

人生色々ありますから、落ち込むときはものすごく落ち込みます。
寝られへんくらい考える時もあるけど、お客さんが帰り際に笑ってくれはったり、「おいしかった」って喜んでくれはると全部吹き飛んでしまいます。一番つらかった母が亡くなった時でも、お客さんがいはると辛くない。で、いなくなると辛くなる。

私はね、ものすごいお客さんに貰ってばっかりだと思うんです。

 

今は最高の時期だと思っています。板長とか下の子とご飯を食べに行くのが一番幸せです。一番気を遣わずにいられて、仕事の話もざっくばらんにできる関係。

今の環境、今のチーム、今の私の周りの人たちとの関係が一番のストレス発散になっています。」

「なんぼおいしいもんができるっていう自信があったって一人ではできませんからね。そういう意味では若い子とどう付き合っていくか、という日本料理特有のものを大切にしています。

調理場っていうのは若い子もいて、30代40代もいます。その中で10代の子は当然接し方がわからない。怒られながら経験を積んで社会勉強をしていくものだと思います。

私はその中で一番大切なのは『思いやり』だと思っています。

一緒に仕事をしながら、
「この人が次どうしたいんかな」「どうしてほしいんかな」
「今はどう思ってるんやろ」「何でこう思ってるんやろ」
「機嫌が悪いな、昨日何かあったんかな」
「昨日の晩どっか行ってはったな」
とか、いろんなことを配慮して配慮してイメージしたら、この人が今どう思っているのか、例えば「賄いはこういうもんが食べたいやろな」とか、「こんなんは嫌やろな」とか、人の顔色が見えるようになってくるんです。

そしてそれは料理においても同じなんです。
お客さんが食べてるところは料理人は見えません。

見えないお客さんをイメージできるのは、配慮を持てるように、思いやりを持てるように、泣きながら逃げたくなるような状況を乗り越えてきてるからです。

その経験が、自分が親方(板長)になるっていう時に発揮できます。単純に俺は切るのが上手や、速い、盛るのが誰よりきれいや、そんなんでは上には立てへんのです。
親方は、すべてに配慮する集中力が必要なんです。

お客様だけではありません。弟子に対しても配慮は必要です。

私は親方というのは親の肩代わりだと思っています。
地方から出てきて、友達もなく、言葉も文化も違う中で、太くて深い付き合いができる信頼関係をつくっていかないといけない。弟子が今、何を不安に思っているんやろとか、どうしてあげるのが一番いいんだろうとか、上に立つ人間として、そういう配慮を欠かさないことをとても大切にしています。

だから僕は弟子に対して、ものすごくきつく叱ります。
大切なことをできん時は、自分の中でこれ以上人を愚弄する言葉はないやろうと思うほどの言葉で目いっぱい叱ります。けど、彼らは絶対に逃げない自信があります。

わかってくれると信じています。」

「ナンボ怒られてもニコニコしてるし、毎日来るんです。それはそこに板長の愛情があるのが伝わっているからです。

板長のことを理解してくれる、本当にいい子をいっぱい持ってはります。」

「私が自分の親方から受け継いだ“板長に必要な要素”を伝えるためには、“上に立つ覚悟”が必要です。
それは甘やかすことではなく、時には厳しく叱ることも大切なんです。」

「和食はレシピがないんです。教えてくれへんから見て盗むってよく言いますけど、本当に今調理長が何を入れたか必死で見ますからね。」

「教えないというか、順番があるんで、今教えるべきでないことは教えないだけです。レシピも醤油とか、ポン酢とか、ある程度はあります。

でも、ひとつのかぶら蒸しをつくるのに、何グラムのかぶらと、っていうのはなかなかできません。
かぶらはひとつひとつ、味も違うし、大きさも違う。魚なんかだと大きさだけじゃなくて鮮度も違う。季節や気温、湿度、そしてお客さんの雰囲気、全ての要素を考慮して、その場の状況に応じて臨機応変な対応が求められるんです。」

「昔は鍋洗い2年って言って、2年間鍋洗いだけで我慢してた子が、今は半年も我慢しませんよ。だから続かへんのです。」

「我慢しなければいけないっていう時代ではないのでそのあたりは試行錯誤しています。まぁ、我慢する子と我慢できない子では大きな差になりますけどね。
鍋磨きも調理場の中で、配慮とか思いやりとかっていうのを学んでいく過程です。

更に言うと先輩からは「鍋洗いを○○のためにするんだ」という話はされません。ただ、「鍋洗いをしろ」としか言わない。でもそれは、そこから自分で意味を感じて考える作業です。

今の若い子には難しいかもしれませんけど、そうして板前に必要な人格ができていくんです。
それをやった上でしか見えないものがあるんです。」

「僕もいくつかの店を回ってたくさんの親方にきましたが、ある親方との関係が僕の人生を変えました。この親方との人間関係が板前人生の中で一番辛かったんですが、今では切っても切れない関係になりました。

でも当時はもう嫌で嫌で仕方なかったです。
だから親方に早く帰ってもらうために必死で仕事を終わらせてました。全部早く終わらせて、少しでも一緒にいる時間を減らすんです。朝は2時間くらい早く行っていました。

向こうはすごくデキる弟子だと思ってくれていたかもしれませんけどね。

仕事が終わってからも大変でした。飲みに行くぞって。次の日僕は朝から仕事があるのに夜中まで付き合わされるんです。たまったもんじゃなかったです(笑)

この親方はバツ3なんですが、離婚の理由は若い衆を飲みに連れまわして金を使いすぎるからでした。そんなことで親方の家庭が崩壊してるから嫁を理由に仕事をさぼれない。怒られるから嫁がいる空気さえ出せないんです(笑)

十数年前に一度、酔っぱらって口論になり、親方から「明日から来なくていい!」って言われたことがありました。完全に親方が悪かったんですが、親方は絶対に謝らない。

で、次の日言われたのが「昨日は酔ってしもて、何も覚えてへんわ」って…絶対嘘です(笑)

今はそこから十数年経ってるんで、親方はもう60ですし、僕は40近くになりましたから親方との関係値も変わってきました。飲みに行っても僕が払えるようになりました。これは僕自身も親方として責任を持つ立場になったことを、とりあえず認めてもらえたということだと思っています。

この前、親方が一線から退くことになり、みんなでお祝いをしました。

昔の親方との関係は今思っても嫌ですけど、親方からは本当に人生に大切ないろんなことを教えてもらいました。この親方について修行したのはたった3年間ですが、今の僕があるのは、この親方との出会いがあったからです。

僕にも何人か師匠はいますが、この親方が一番だと思っています。」

 

「辛抱したらいつか笑えるんやけど、なかなか難しい。やっぱり辛抱なんやね。

厳しい人ほど、年いってから親父親父って言われています。親父がいいひんかったらこんなになってへんって。板長(遠藤さん)も絶対言われますよ。」

「時代は変わってきています。僕がこの世界に入った20年前からも変わっているし、これから10年、20年後はもっと変わると思います。人材もそうですし、料理屋さんもそうです。

その中で、日本料理の世界でも“ちゃんと叱ってくれる人”が減ってきていると思います。

たとえば独立。
料理人は和食に限らず独立というのを6割7割が早い段階で決める人が多いです。22,23歳くらいで独立して、1年2年で店をつぶしてしまう人がいっぱいいます。この歳になってそういう人を見ると、とても残念に思います。おいしい料理を作れると思ったから独立するんでしょうが、本当はそれだけじゃないんです。まだまだ学ぶべきことがある歳で、伸びしろあるのにもったいないと思うんです。

僕も若い時はこんな店を自分でやりたいと思ったことは何度もありました。今思うとアホやったと思います。その程度のところで判断するのは早すぎる。

20代なんてまだどうなっていくかなんてわからないですよ。僕だって15年前は今とは考え方が違いますし。ちゃんと叱ってくれる人の下で、人と出会い、人を教える立場になって色々考えてみる。それからでも独立はできるし、本当にもったいないと思います。

変な言い方ですが、独立したら、ちゃんとした人間に叱られる機会を失います。自分のオヤジ(親方)なら若い時分に独立するなんて言ったら何されるかわらかんかったです。」

「時代が変わってきて外国人も増えて来てます。この頃は畳の部屋でも椅子席がないとダメな状況にもなってきている。でも、料理的にはそれほど変わっていない。お肉を入れるとかっていうくらいかもしれない。今の時代は何でも手に入りますからね。」

「肉も和牛があるんですから、日本食なんですよね。肉イコール洋食というイメージでもないですし、味を和食のテイストにしていればいいと思います。」

いつも新しいものを取り入れながら、大切な古いもんを残していくことの繰り返しだと思っています。
私はそんな先見の明があるわけではないし、インターネットで配信しないといけない時代にどこまで対応するかもすごく考えます。やりすぎると今までのお客さんにとってよくないし、かといって売り上げを考えたらやらないのも困るし…

京料理の板前は若い子がいないのが一番の懸念点です。料理人になりたい人の95%が調理師学校に通う時代です。その中でもほとんどが洋菓子、イタリアン、フレンチに行ってしまって日本料理は1割程度です。その1割が実際に仕事に入ったら、厳しい環境に付いてこれなくて続かない。結果若い人が減ってきています。

労働時間等、色んな制約が出てきてしまっているのも問題のひとつです。
修行の期間があって初めて成り立っている和食の世界に、労働基準法などで時間の制限が加わると、なかなか一人前を育てるのは難しい状況です。業界的には休みはない、時間は長いが当たり前ですから。」

「そういうのも全部ひっくるめて、5年後10年後はもっと変わっていきます。こういうもんやって言い張ってても何も変わらないんです。

結局一番大事なのは人な訳で、「俺はこう思ってるんやからついてこれへん奴はいらん」と言ってたら何もできません。だから考え方を少しずつ変えていく必要があると思っています。私たちはロボットではないですから。

若い子が少しできるようになってきたら、あっちの店行ってこいといって出すんです。
ずっと上で見守れるかといえばそうでもないし、行った先で環境が合わなかったら続かないです。」

「状況的には厳しいですけど、私たちは私たちのできることをやり続けるしかないと思っています。」

礼子さんはものすごく気持ちのいい接客をされます。
本当に「ちょうどいい」タイミング。会話への入り方もとても自然です。

とてもやわらかい対応の裏側には常にお客様への配慮と思いやりがあります。
礼子さんにとっては配慮して思いやりを持って人とのコミュニケーションを取るというのは当たり前のこと。やろうと思ってやっている訳ではありません。だからこそとても気持ちいい時間を過ごすことができるんだと思います。

「私はね、ものすごいお客さんに貰ってばっかりだと思うんです。」という礼子さんの言葉が胸に刺さりました。礼子さんの“おもてなし”に対する追及は終わりません。

京料理が一般的に高級なイメージを持つのは何故なのか、今回の取材でその答えが少しだけ見えた気がします。

遠藤さんから感じたのは引き受ける覚悟です。
叱るというのは育てていく覚悟を持っているということ。人生を賭けて挑まなければ身に付かない職業を選んだ遠藤さんは、今、若者を育てる側に立って、ついてくるならどこまでも責任を取る覚悟を持つことの意味を理解しています。

その覚悟が、お金の関係ではない、家族以上の信頼関係、絆を生む源になっています。

時代が変わる中で、残すべきものを大切にしながら変化をしていかないといけない状況。京料理という文化とどう向き合うかを問われる中で、一番大切にしているのは仲間、そしてファンとなってお店に来てくれるお客様との関係。

仕事を超えた先に見えるものは何なのか?そこには保身とか根回しといった不要なものを全てそぎ落とした、ただお客様が喜ぶためだけに人生を捧げる藤やさんの心が見えた気がしました。

 

京料理 藤や

女将 藤谷礼子
板長 遠藤大輔

京料理藤や

Writer

masaya

八田雅也 Masaya Hatta

KAZOO(カズー)代表
ジャンルにこだわらず、魅力的なものを見つけ繋げる企画師。京都と東京を中心に活動中。
軸を持って生きる人、かっこいい生き方をしている人を探しています。