能面は全ての感情を詰め込んだ中間の表情。
演者の力でどんな表情も引き出すことができる、不思議な一面を持っています。

京都の住宅街の一角、一軒家の2階の工房で黙々と能面に生命を吹き込む。
全てを手作業で、ひとつの木の塊を削り続ける能面師、長澤宗春氏の志に「和こころ」が見えました。

「能面は能の曲やシーンに合わせて全ての形が決まっています。
演目で使われるものはほとんどが昔のもので、新しく依頼されるとしてもある程度お抱え的な職人が既にいるんです。
能には新しい曲や演目は出てこないため、能面は室町時代から江戸時代の初期に仕上がっています。

一つ一つの面には技術は勿論、いろんな想いが反映されるので全く同じものはできないんですが、オリジナルでつくるというのはないんです。

私が作っているのは主に飾る用に使われる美術品としての能面です。」

「今まで職人は表に出なかったんです。
でも、百貨店やいろんな祭場で展示会等ができるようになって、職人にステータスを持たせるようになってしまった。

僕はそういうのが苦手で。
ステータスがほしいわけではなく、自分でやりたいからやってるんですから

だからそういうのには参加しなくなり、こうして自分の作りたい形で能面を打ち続けています。」

「能面には家元がないんです。だから教え方が難しいんです。

一時期、月謝を貰って能面打ちを教えるスタイルが流行りました。
その結果、市場に出回る能面が玉石混合となりました。

ウチの親父はその流れには乗りませんでした。
私は三兄弟の次男で、兄も弟も能面師をやっていましたが、私たちはそんな親父の教えを守ってきました。

現在、私のところにも数人通っている方がいますが、月謝はもらっていません。」

能面打ちは教えられてできるものではないんですね。
だから来るのは自由だけど教えない。見て、肌で感じて学んでいってもらうスタイルです。
覚悟がないとできない環境で、それでも来たい方は受け入れるというスタイルなんですね。

「能楽師は相手にしていません。自分の想いを反映したものを作りたいから。

私の作品を見て、好きになって買ってくれる方に買ってもらうことがほとんどです。
そういう方は家宝にするくらい大切にしてくれるんです。

本質的には舞台で使ってもらって活きる物なんですが、僕は美術品として、飾れる能面を作ることを選びました。

木は生きています。
素材にもこだわらないと、木が収縮してしまって形が変わったり塗った色が割れたりてしまう。」

「能面には、胡粉(ごふん)や漆、膠(にかわ)、墨、煤(すす)、岩絵の具など、天然の素材しか使いません。
技術的には、大工仕事、彫刻、彫金、染、日本画の技法など、日本の伝統工芸技術がちょっとずつ入っているんです。

機械化は否定はしません。
でも、自分的に、機械に頼ると甘えが出るような気がしているんです。

だから僕は昔ながらのやり方で、全て手作りで作るんです。」

「まず、能面に気品がなかったらアカンのです。
早く作ってお金にしたいとか、遊びに行きたいとか、邪な気持ちでつくると面の表情に表れる。

私たちの仕事は面打ちと言います。
刀鍛冶と同じで、心を無にして打ち込みなさいと。
邪な気持ちを持って打つことはご法度という戒めをいつも心に留めています。

僕は全ての作業を自分でやりたい。
手作業でやることで、口下手な自分の伝えたい想いを能面に注ぎ込むんです。

30代で初めて作品を出した時、僕の作品に目を留めてそこからずっと応援してくれた方がいました。
他にも僕の面をほしいと言ってくれる方は、家宝にしたいというくらい、とても大切にしてくれるんです。
そんな風に扱ってもらえるというのがとても嬉しいですね。」

「できた時は、『できたー!最高の出来だ!!これは絶対に手放さないぞ。』というくらい熱が入っているんです。
なので、できた時は買いたいと言われても売る気がないんです。

でも数ヶ月眺めているともっとこうしたいという気持ちが出てきます。

そしてふと思うんです。
あの時何で売らなかったんだろう…って(笑)」

「10年、100年後、そして1,000年後に昭和平成の能面として、『これいいな、これを写したいな』と思われるものを目指しています。

現在残っているモノの中にも数百年前の能面があります。
でも、古いから全てが良いのではないんです。
古いものにも良いものもあれば良くないものもある。

遠い未来にもきっと玉石混合の能面が残っていくと思います。
そんな中で、僕の作品が残っていて、僕の作ったもんをいいなと思ってくれる人がいたらいいなと思います。

だから今ではないのかもしれませんね(笑)」

長澤さんが目指すのは、千年後に価値を共有できる能面作りです。
長澤さんにとっての価値は、売れた値段ではないんです。

出来上がった時に「手放したくない!」と思えるほどのものを作り上げる。
それでも満足はせず、数ヶ月間眺めた上で「もっと最高のものを」と次の作品を作り始める。

常に自分が最高だと思える作品を作り続けているからこそ、作品が常に進化し続けている。
日本のモノづくりがすごいと言われるのはこういう考え方を持って仕事をしている人たちがいるからなんだと思います。
そして、長澤さんのすごさはここにあるんだと思いました。

正直、私たちは能面の技術的な価値はわかりません。
でも、その生き方、考え方には共感できる部分がたくさんあります。
決して裕福な暮らしをしてきた訳では無いと思います。
どれだけ厳しい状況でも、その信念を貫き、体現してきたからこそ、「長澤さんの作った能面を家宝にしたい」というファンがいるんです。

メディアで取り上げられたからとか、有名人だからではない。
長澤さんの本質的な魅力を理解した人が長澤さんの信念を支えているんです。

それを心から受け止めるから長澤さんの面は進化し続ける。

そこには、表面的なビジネスではない、強固な絆をベースにした関係性が見える気がします。
簡単なことではないですが、そんな関係性の中でできる仕事はきっと幸せなんだろうと感じることができた取材でした。

■長澤宗春の作品がほしい方

長澤さんはホームページでの通販等は一切行っていません。

写真は、長澤さんの力作。正式な能面ではなく、長澤さんのオリジナルです。
長澤さん曰く、能面で一番難しいのは丸みの部分。すべて丸みを帯びているこの面の形は長澤さんの技術の粋を集めたものです。
また、一般的には口の部分は別パーツとして切り離して作るところを、一枚の木で表現しているのも特徴です。

私たちとしては、是非直接手に取って気に入ったものを見つけてほしいと思っています。
長澤さんの能面の購入をご希望の方は和こころ問合せページよりお問合せください。

「能面の表面は、基本的には全てが決められた形を作ります。
能のための道具なので、役柄が決まっている。
だから全てに決まりがあってそこからはみ出ることはできない。

だから、見る時は裏面を見るんです。
裏面を丁寧に作っている人は、表面もしっかりと作っている。
裏にその能面師の技量が現れるんです。」

 

長澤宗春(Muneharu Nagasawa)

日本能面協会副理事長
長澤宗春能面研究会 会長
京都市伏見区出身

日本の能面界の無形文化財選定保存技術保持者(人間国宝)故長澤氏春の次男として幼少の頃より能面打ちを見て育つ。
京都嵯峨大念佛狂言 製作・修理 長澤一門展・兄弟展・個展等に携わり、現在も自身の理想とする能面を打ち続けている。

※連絡先等は非公開となっております。ご希望の方は和こころ問合せページよりお問い合わせください。

Writer

masaya

八田雅也 Masaya Hatta

KAZOO(カズー)代表
ジャンルにこだわらず、魅力的なものを見つけ繋げる企画師。京都と東京を中心に活動中。
軸を持って生きる人、かっこいい生き方をしている人を探しています。