1886年池坊から分派し龍生派を創流、2016年に創流130周年を迎えた龍生華道会。
その四代目家元吉村華洲氏を訪ねました。

いけばなと言えば、玄関や和室に飾る花など女性の嗜みというイメージが強いもの。
お話を聞く中で私たち一般人のイメージとは違う、『いけばな』が見えてきました。

華道の根底に流れている思想は、「上を敬い下を導く」という儒教の精神です。
華道は、その精神を普及させるために江戸時代、幕府が奨励して武士を中心に庶民の文化として拡がりました。
茶道と同じく、華道は元々武士の嗜みだったのです。

しかし明治に入り、新しい時代の流れと共に一旦華道文化は断ち切られました。
その後、明治20年から女学校に教育として取り入れられ、昭和の時代には女性の嗜みとして定着しました。
今、私たちのイメージの中にあるいけばなは、この流れがあったからなんですね。

いけばなって美しい瞬間を切り取った芸術というイメージがないですか?
和室でキモノで正座をして、細かい作法がたくさんあって、床の間に飾られるという感じ。
でも、実際はもっと身近なものなんだと華洲さんは教えてくれます。

道に咲いている花が美しい。持って帰って飾りたいと思う。この心がいけばなの心なんです。
人間のエゴで花を摘む。摘んだ瞬間から責任が生じると考えます。
きれいに飾って誰かのこころが癒される等、花の命を何らかの形で活かす責任です。

花をいける時、その花の一生が一番輝く形で表現すること、そのためにどういう飾り方が適切かを考えます。
つぼみの時期があり、花が開いて、枯れていく。
すべての過程に意味があります。枯れたらダメという考えもないんです。
枯れている状態も花にとってはひとつの姿ですから。
誰かのためにというのであれば枯れそうなのは避けるかもしれないですが、
作品の表現としては、枯れてしまったものを活用するというのは十分にあり得るんです。」

なんだかとっても奥が深いですよね。

「いけばなに終わりはありません。自分が終わりだと思ったらそこが終わり。」

最初はどういうことかわかりませんでした。

「花は生き物。同じ花は2本とない。ひとつひとつ違う。
作品はその時その花だからできるものなんです。
正解はありません。お手本もありません。自分の感性のみにしたがって作品を作る。
ひとつひとつの花と対話しながら、その花が一番輝く形を作っていく。
だから、終わったところが終わり。やり続ければいつまでも続くんです。」

自分が納得いくまで突き詰める中で得られる気づきが大切なんですね。

「でも、決して敷居は高くないんです。
花や葉を見て、キレイだな、良いなと思う方なら誰でもできることです。

感覚を研ぎ澄ませ、元々持っている感覚を植物素材を使って、違和感のない形で収まる立体を完成させる。
葉っぱでも枝でも、向きが変わると表現が変わります。細かい点に気を配り、花と向き合うことが大切です。

作品を完成させることが目的ではなく、作品を作る中で自分と対話し、ヒントを見つける作業です。
評価するのは自分自身ですから。

答えがない作業の目的は、花材といける人とのコミュニケーションなんですね。
その日、その時、その花材とその人の心の状況でできる花材とのコミュニケーション。
家元はその花材とのコミュニケーションを極めているから、万人にも共感される完成型を提供できる。

大々的に公開されるのはそんなエキスパートの方々の作品がほとんどですから、
同じように評価されるものを作らなければと思ってしまうので、いけばなはハードルが高いと思われがち。
でも、やってみることで得られるモノがあるんです。

評価される作品を作ることが目的ではない。決めるのは自分自身。
植物を通して自分との対話を行う場として、生き方のヒントを見つけるためになら、一度挑戦してみたくなります。

そんな華洲さんがいけばなを通して伝えたいことは?

「いけばなには、心の部分、責任感や遠慮や気遣いの心が詰まっています。
いけばなに触れる人を増やすことで、日本の文化が引き継いできたそういった心をもっと多くの人に感じてもらえたらいいと思います。
子供たちが育っていく過程で、思いやりの心が自然と身につく環境がいけばなにはあると思います。」

いけばなは、正面から見て最も美しい形を作るのが基本です。

でも、家元の作品は横から見ても、後ろから見ても、きれいな形に収まっています。
正に“見えないところへのこだわり”。
「どの角度から見ても、その空間にしっくりくる形にできているからこそ、本来の正面から見たときに奥深い美しさが表現できる。」

モノづくりの職人の精神にも通じるものがあると思います。
これは、花をいける空間を小さな宇宙と捉え、その中で天・地・人という3つの要素を基準に、
調和した空間を形成する「三才格」という考え方が基になっています。

私たちの生活の中にも、見えないこだわりがたくさんあると思います。
情報過多の現代で、見た目の良さに騙されない為には、そういう見えないこだわりを見抜く力は大切です。
いけばなの中には、そんな「現代を生き抜くヒント」がたくさんある気がしました。

華洲さんは元は建築家という、華道家としては珍しい経歴の持ち主です。
いけばなとは違う世界から家元に就任するのは決して簡単なことではありません。
流派内には華洲さんよりも経験を積んだ華道家がたくさんいます。
家元としての道を志すのは、130年の歴史を背負い、流派の代表として活動することを意味します。

いくら世襲制とはいえ、そのためには流派の中で家元として認められる必要があります。
今、家元として精力的に活動されている裏側には、圧倒的なプレッシャーと想像を絶する努力があったことは容易に想像できます。

でも、華洲さんは「結果的にすべてのことが活きている」と言います。
「設計図があり、完成予想の絵が確立されている(=正解がある)建築の業界を経験したからこそ、
正解のないいけばなの世界をより深く理解できるんです」とおっしゃっていました。

華洲さんは私たちの考えるいけばなの概念を超えた、もはや近代アートともいえる展覧会を開催したり、
流派を超えて若手の華道家を集めた勉強会を開いたり、様々な視点からいけばなの世界に新しい風を入れようと活動をされています。

そこには、代々引き継がれ、そして後世に伝えるべき龍生派のいけばなに対する理念、
自分自身を高めるためのいけばなの精神とそのいけばなの魅力を新しい形で表現するという試みが詰まっています。

まずはやってみたらということで、今回初めていけばなを体験させていただきました。
華洲さんが教えてくれるのは「花を上手にいける技術」ではありません。
作法や手順はあくまでも基礎。大切ではあるけど本質ではありません。
花を通して「自分自身とどのように向き合うか」その方法を教えてもらえたように思います。

 

吉村華洲(Kashu Yoshimura)

龍生派家元 / 一般社団法人龍生華道会 会長/ 公益財団法人日本いけばな芸術協会 常任理事
筑波大学芸術専門学群建築デザイン卒業。建築設計事務所での経験を持つ。
1996年、龍生派副家元に就任。
超流派有志によるいけばなのPR活動団体「花ドームの会」として、毎年東京駅丸の内北口ドームにおいてインスタレーションを手掛ける。
ジャズバンドやダンス、演劇との共演、ステージ美術を担当している。
2015年1月龍生派家元を継承。

いけばな龍生派公式WEBサイト

Writer

masaya

八田雅也 Masaya Hatta

KAZOO(カズー)代表
ジャンルにこだわらず、魅力的なものを見つけ繋げる企画師。京都と東京を中心に活動中。
軸を持って生きる人、かっこいい生き方をしている人を探しています。