千葉で起業し17年、セオリーを無視し続け、独自の信じる道を進み続ける。
型にはめるならTシャツブランド。でもTシャツを売っている訳ではない。

世の中にない視点で「面白いデザイン」を追及し、消耗品であるTシャツを、コミュニケーションの手段として活用できるものに。
その想いがファンをつくり、誰にも真似できないオリジナルブランドになった。

〝UNCOOL is COOL.〟をテーマに、ダサいとカッコイーの間にある絶妙なデザインを生み出す。
引き継いできたものではなく、現代に創り出したものを後世に拡げるために活動する里見親美さんの生き様に「和こころ」が見えました。

「パンクドランカーズは、“面白い”を追及する、型にはまらないデザイン集団です。軸はアパレルなので服が多いですが、面白いと感じられることなら何にでも挑戦しています。

全てにおいてテーマは〝UNCOOL IS COOL.[ダサイはカッコイー]〟です。
『和』と『洋』と『遊び』の融合を基本に、二度見されるネタを仕込んだツッコまれるアイテムをつくっています。好きな人は中毒になる。そうじゃない人には見向きもされない。両極端に意見が分かれるブランドです。

日々『面白いとは何か』を追及し、誰も作ってなかった『何でそんなの作っちゃったの!?』と言われてしまう、ちょっと視点の違うカッコよさを表現し、デザインの力でコミュニケーションを生み出します。

個性豊かなアイテムが着る人の個性までも引き出します。パンクドランカーズのアイテムを持てば、友達が増え、友情が芽生え、豊かな人生をおくれる。そんなデザインを世の中に発信しています。」

「今は〝UNCOOL is COOL.[ダサイはカッコイー]〟をテーマにしたブランドを展開していますが、そのルーツは実は子供の頃からです。

昔から、一番人気があるものは嫌いでした。ジャイアンツではなく阪神。
チャレンジする方というか、挑戦者を応援したいという気持ちが大きかったです。多数派に乗っかって良い気になるのは嫌でした。

決してすべてにおいて反発するとか反対する訳ではありません。そういうのはむしろ嫌だと思っています。
だけど、ある一部のこだわりの部分は絶対に譲りたくないという気持ちはありました。

たとえば、僕は阪神ファンでした。僕は千葉で育ったんですが、当時はみんなジャイアンツファンで、阪神ファンって言うと「はぁ?」っていう態度をされました。阪神ファンは小学校の頃から虐げられるんです(笑)

でもそんな中でも流されることなく、ずっと阪神ファンを貫いてきました。
それを耐えてきての中学二年生での阪神優勝。めちゃくちゃ気持ちが良かったです。

遊ぶ時もちょっと変わっていたかもしれません。
友達もたくさんいましたし、みんなと一緒に遊ぶことも多かったですが、どちらかというとその中で新しい遊びを始めるタイプでしたね。今あるものをちょっとだけ変えて、より面白くするのが好きでした。

今でも同じです。僕が選ぶのは少数派が多く、日頃からブームとか、世の中のマジョリティーに対しては対抗心みたいな気持ちがあります。
いつかこっちの流れが来るぞってね。」

「今もそうですが、元々僕は社長になりたいとか、お金儲けが好きとかそういう気持ちはあまり大きくありませんでした。アパレル業界に入ろうとも全く思っていませんでした。

そもそも、最初は歯科技工士としてサラリーマンをしていました。
1年半ほど勤めた時に、その会社がつぶれることになってしまったんです。

実家に帰ってどうしようか考えてアクセサリーを作ってみようと思いました。
歯科技工士の技術ってシルバーアクセサリーを作る技術と似ていたし、昔から絵を描くこととかデザインすることは好きだったのでできるんじゃないかなくらいの感覚でした。
この時点ではほぼニートみたいな生活です(笑)

約1年で、ある程度のクオリティで作れるようになったので、じゃあ売ろうと。
デザイン系の友達を誘って、お台場のデザインフェスタ(デザインのコミケみたいなもの)で出展しました。

その時に考えたブース名が「パンクドランカーズ」です。メンバーはパンクロックが好きで酒好きも多く、パンチドランカーみたいなイメージで考えました。
張り切って出展したのですが、一年目はあまり売れませんでした。シルバーは全部一点モノなので、単価が高くなってしまったのが原因かもしれません。

何とかならないかなと周りのブースを見たら、Tシャツが良く売れていました。そこで「よし!次回はTシャツを出そう!」と。
これがパンクドランカーズとTシャツとの初めての出会いです。

アメ横でTシャツを買って絵を描いて、100枚くらい手刷りで刷って2回目のデザインフェスタで出してみました。すると、100枚のTシャツが即日完売したんです。これはいけるなって思いました。

今思えば、ここで作ったのが既に『カッコイイ』よりも『面白い』を重視したものでした。

最初のデザインは前面に漢字で「国技」、背中に相撲取りと「人生楽ありゃ苦もあるさ」っていう水戸黄門のフレーズが英語で書かれているデザインでした。
二つ目は前面の真ん中に「平常心」という漢字、背中に赤ちゃんがおしゃぶりを喰らいながらマウントポジションで殴り合っている。そんなデザインでした。絶対全然平常心ではいられないグラフィックなんですけど、それを逆手にとって出してみたらめちゃくちゃ売れたんです。

そんな訳で、結局元祖パンクドランカーズはTシャツがメインになっていきました。結果、Tシャツを作りたいメンバーだけが残っていったら、初期メンバーは今の状態、僕と妻の二人になりました。ただ、その時もまだ自分ではアパレルやるとかはあんまり考えていませんでした。

現在のブランド「パンクドランカーズ」としての始まりは26歳の時です。
たまたま「国技」とか「平常心」を着て街を歩いていたら、恵比寿の「ブレーンバスター」っていう店の店長さんが気に入ってくれて、ウチで卸してみないって言われたのが最初です。

そこから展示会に誘っていただき、合同企画展に参加させてもらえることになって、合同企画展に来たお客さんが興味を持ってくれて、少しずつ置いてもらえるところが増えていって…と一気に進んでいくことになります。

拡大路線に乗ったのは良いんですが、会社をする気ではなかったので全部手弁当。当時は千葉の実家で母にネームを縫ってもらったり、居間でたたんで袋詰めしたりしていました。めちゃめちゃDIYですね(笑)

でも、本当にご縁とタイミングだと思います。」

「よく、社長としての覚悟を持つって大変ですよねって言われますが、僕は元々、覚悟なんてないタイプでした。会社に勤め続ける覚悟は持ちたくなかったんです。というか持てないと思ってたんです。
だから自分で好き勝手にできるこの仕事を始めたんです。覚悟を持たなくてもいいやっていう道を選んだつもりでした。

法人化も特に覚悟を持ってした訳ではありませんでした。
社長になろうと思ってた訳でもないのに、やってるうちに社長にならざるを得なくなってきてしまいました。
手が足りなくなってきて、社員を雇い、その社員が結婚して子供ができると、社員の生活を考えないとと思い始めて、責任が生まれ始めました。
そんな中で段々覚悟ってこういうことかなと思い始めたというのが正直なところです。

伝統文化系の人たちは覚悟を持つことを前提に活動をされていると思いますが、僕には絶対無理です。
勤め人が持つ覚悟が嫌だって、覚悟をしなくてもいい道を選んだはずなのに、気付いたら覚悟を持つことになっていた。
変な話ですね(笑)」

「この業界に入った当時、単純に僕が表現したいことがないと感じていました。
ファッション業界において、アンクール(ダサい)を謳うこと。逆を謳うことはあり得ないこと。ダサいよって言うアプローチはあり得なかったんです。

専門的な知識もなくいきなり業界に入った僕にはそれが違和感でした。

だから誰もやってなかった切り口で商品を作り始めました。
僕が「面白い」って思ったものを商品化した時のお客さんの反応が好きなんです。それは、業界の常識に外れてマイノリティを選ぶことへの葛藤が気にならない程のものでした。

一般的なアパレルとは基本的なものが少し違う気がします。
一般的にはカッコイイ、オシャレ、流行に乗っていることを重視します。
でも、僕の重視しているのは「面白い事考えた!!どう?」って言うところです。

特攻服などは、売れるかどうかで判断していません。面白いから出したい!という気持ちが大きくて、「見せる商品」という言い訳を付けて出したりします。

ただ自分の思う「面白い」に共感してくれる人を集めたい。そういう気持ちが自然にパンクドランカーズらしさになっていったんだと思います。」

「パンクドランカーズの魅力は正統派の勉強をしないことかもしれません。基本的に業界の常識を知らないので、無理なことはないと思って動いていますから。

工場でも普通ではない無理難題な注文を出すので嫌がれることも多かったです。
でも、途中から工場が「面白い」って言って喜んでくれるようになってきました。『こういう注文は普通出ないし、考えなきゃできないからめんどくさい。でもパンクは面白いからやってみるよ』って。それはとても嬉しかったですね。

ポケットの部分をめくると乳首が見える〝ポロリポロシャツ〟というのを作ったことがありました。中国の工場に発注したんですが、何度説明してもポケット部分が縫われてくるんですね。『そんな訳ないじゃん』てことなんでしょうね。

今までなかったアイデアを生むために、常日頃からいろんなことに興味を持つように心がけています。
色んな人のを見て、超うまい!!すげーっていうのはどんどん取りこんでいきます。

ポイントは「TPP(徹底的にパクる)」です(笑)
ただのコピーではなくて、いいと思ったものはどんどん取り入れて、自分なりに進化させる。

これみんな知ってるけど誰もやってない。
うまい棒とのコラボを考えるアパレルってなかなかないと思います。うまい棒の担当者も最初は真剣に取り合ってくれませんでしたから。

でも、これはきっと面白い!と思って、そんなところに気づいて商品化できたときの反応を見るのが面白いんです。」

「普通の服は作ろうと思ったことがありません。というか作れないです。
絵に関しては自分よりも上手な方はたくさんいますし、自分は特に絵が上手いとは思っていません。器用な人は色んな人の影響で、テイストを変えられると思いますが、僕は器用じゃないんですよね。
どうしても自分のテイストになってしまう。

デザインは、よく切り絵みたいと言われますけど、アウトラインが太いスタイルも昔から変わっていません。特にデザインの専門的な勉強はせずに、ずっと独学で勝手に描いていたので、ある意味セオリーを無視したオリジナリティーのある画風になれたのかもしれません。

アーティストになりたいとは別に思っていません。
俺は、アーティストは〝目指すもの〟ではなく〝自然となるもの〟だと思うんです。

悩んだ時期もありましたが、17年やってきて、結果的に良かったなと今は思えています。
独特のスタイルというのも一つだと思いますが、僕のデザインは本当に賛否両論です。

好きな人は中毒者になる。そうじゃない人は見向きもしない。驚くほどハッキリ別れます。
それが面白い。
賛否両論って面白いんです。敵もできるし味方もできる。それだけ引っかかるということです。

以前アイドルのCDジャケットをデザインさせてもらったことがありました。
担当者が、『賛否両論のジャケットを作りたい。「なんでこんなの作っちゃったの!?」っていうのと、「凄く良いね、やっちゃったね♪」という賛否両論の意見がほしい。だからパンクさんに来ました。』って言うんです。

じゃあやります。って似顔絵を描いたのですが、できた結果、メンバーの子が何人か泣き出したそうです。「私こんなのじゃない~」って(笑)
僕としては、「よっしゃーっ!!」て。それ求めてたでしょって。
結果的に評判も上々で本当にいい仕事になりました。そういう面白さがあるんです。」

「いろんな会社とコラボします。提案も受けます。僕と組んでみたいと思ってもらえるのは、洒落との融合があるからだと思います。

すべてはご縁で実現することが多いです。僕たちのスタイルを理解してくれる人ならいい仕事ができると思っています。会社の規模や、社会的地位は関係ありません。
面白いかどうか、一緒に楽しめそうかが一番の決め手です。

大手の企業さんだとデザイン限定でコラボという企画をよく見ますが、パワーバランスが偏っていると面白いことができないと考えています。僕にとっては、お互いがリスペクトを持って対等に接して実現する企画じゃないと、コラボレーション企画とは言えないと思うんです。

僕たちはDLEさんが「鷹の爪」を始めた頃と同じくらいに、全く関係なく、「鷹の爪」というお店を始めていました。ある日お店にDLEの方がやってきて、「実は私たちこういうのやってるんです。」ってDVDを見せていただきました。ちょうど数日前の深夜に鷹の爪を知ったばっかりだったこともあり、「すごいアニメ作ってますねぇ」って意気投合して、結果コラボ企画が実現したこともあります。

楽しいコラボ企画も増えてきました。
キン肉マンやうまい棒、最近遂に阪神タイガースとのコラボも実現しました。常識から逸脱した僕のデザインを必要としてくれている場所があるのを感じられるのはとても嬉しいです。

僕の中でのコラボの時の基本的な考え方は、お互いの特徴を出し合ってやれればいいなと思っています。

僕たちの提案は、会議では一番受けるけど、実施するとなるとやっぱり無しってなりやすいものが多いと思います。でもそれを上手く乗り越えられたらインパクトのある事が色々できるんです。

一度コラボをした後、数年間まったく連絡を取ってないのに、ふと連絡が来ることも多いです。一度一緒にお仕事をさせていただいたら忘れられない存在になれる。

それもパンクドランカーズの魅力の一つです。」

「一般的ではない業界の流れを実践してきた結果、お客さんからの反応が変わってきました。

僕のデザインはどこか違和感があって『あーあの絵パンク(パンクドランカーズ)だよね』って言われます。前面に大きな絵のあるデザインも多いので、遠くから見てもわかります。

カッコ良いブランドだと、服が被るとちょっと気まずい感じになりますよね。
でも通りがかりにパンクドランカーズの服を着た人がいたら、「同志よ」って感じの不思議なつながりができます。被るとお互い喜んでくれるというか、ニヤッとしてくれる。新しいつながりをつくるというか、仲良くなるツールとしてはもってこいだと思います。

『パンクドランカーズの服は被っても嫌じゃないんです!』って言ってもらえるのがとても嬉しいです。

ただカッコいいだけじゃない。わかる人にだけわかるギミックや、ネタを仕込んでいます。説明はしないので、それをわかって買ってくれる人と、わからずに買っていく人がいます。
わからずに買う人は、単純にデザインを気に入って買ってくれる。そんな人がネタの部分を知るともっと嬉しくなる。その二段階のうれしさが魅力になっているのかもしれません。

良いデザインだから買うんじゃない。わかるだろ?って言われて買う。
全部を通して伝えたいのはUNCOOL is COOL「ダサいはカッコイー!!」なんです。

僕たちはTシャツを売っているんですけど、Tシャツだけを売ってないんです。
僕にとっては〝Tシャツはこうあるべき〟というのは大切ではなく、Tシャツは僕なりのおもしろさを伝えるツールとしてTシャツがある。
コミュニケーションのツールになるってよく言われるのがパンクドランカーズの特徴だと思います。」

「面白さを考えずにカッコイイと思うブランドはたくさんあります。でも僕は上から下までキメてるのってちょっと違うと思っています。どこか一か所外しているのがカッコイイというイメージで、僕は好きなんです。

だからコンセプトは〝UNCOOL is COOL.〟

僕が与えたいのは違和感です。
二度見されたい!
二度見されるからよりメッセージが伝わりやすい。

違和感や引っかかりがあると二度見されます。

たとえば、お尻に『ヴィンテージ』と書いているジーパンがあります。
お客さんが、駅で階段を登ってたら、後ろの女子高生に「見てアレ!」とウケたと。
そういうのを嬉しそうに語ってくれるのが本当に嬉しいんです。」

「デザインを考える時、何でもいい、好きにしていい、おもしろいもんなら何でもいいという訳ではありません。
重要視しているのは〝洋服として街に出て着られること〟です。

中途半端にやってしまうとお土産屋で売ってるパロディーみたいになります。
でも、それは違うんです。

「おもしろい」の定義はとても難しいです。
お客さんのことを考えて提供するブランドとして、独りよがりのおもしろさにならないようにするのはとても大切だと思っています。

そういう感覚をわかってくれる人、僕たちの「おもしろいでしょ?」に共感してくれる人を集めるための最低限のラインは〝コスプレにならないこと〟だと思っています。」

「僕自身が楽しいと思うからやっています。楽しいと思わないことはやりません。
その結果、自然な形でファンが付いていただけるのは本当に有難いです。

毎回「また、こんなことやってる!!」「今度はこれかー!?」というまさかの驚きを見せ続けていきたいです。

洋服がコミュニケーションのツールになるってなかなかないと思います。服が好きな人同士なら、ブランドについて話はできると思いますが、ぼくのデザインは服に興味のない人でもツッコめます。
合コンに着ていくと、女の子に何それ!って言われるんです。つかみはオッケーだし、良い話題作りになります。あの服着てた人っていうので覚えてもらえます。

普通、デザインはツッコまれないように作ることの方が一般的なんだと思います。

でも僕は完全に逆なんです。
ちゃんと考えているけど、ツッコめるところがある。自分で描いてて笑っちゃうデザインもあります。

僕たちにとってはどんなネタを入れようかという「作る楽しさ」が生まれるし、お客さんにとっては「選ぶ楽しさ」や「ツッコまれる楽しさ」を得るためのツールになる。〝UNCOOL is COOL.〟はいろんな魅力を秘めています。」

「パンクドランカーズが千年後に語られるとするなら、昭和平成の時代のファッションブランドとして千年後にも二度見されたいですね。
キーワードは『気になる』『引っかかる』『違和感』です。

最近たまにパンクドランカーズリスペクト(?)的な商品が出てきています。
「超パンクさんぽいのがありましたよ」って人から聞くことが多いんですけど、嬉しいんです。

誰も考えてない、考えててもカタチにしてないアイデアをカタチにして、こんなのどう?っていうのを提案する人が増えるのはとても嬉しいことです。
周りでも“おもしろいもの”が求められることが多くなってるってことですから。僕の考えるマイノリティ路線に共感してくれる人が増えている証拠です。

千年後、パンクドランカーズというブランドが残っているかはわかりませんが、洋服がコミュニケーションのツールになるというパンクイズムが継承されるのはいいじゃないですか。
二度見させて、面白いなって思う感覚を、アパレル業界という枠を超えて広がっていけばいいと思います。

そして千年後、「実はその源流は“パンクドランカーズ”というブランドで」って語られたら面白いですよね。」

里見さんはパンクドランカーズというデザインメーカーの生みの親です。とても気さくにお話される姿の外側だけ見ると、奇抜なデザインで冗談のようなアイテムを作っているキワモノメーカーの社長。
でも、その奥にはものすごくアツい気持ちを持たれています。

一番衝撃だったのは、業界やジャンルに囚われることなく、自分の表現したいことをカタチにするために全力で模索し続けるその姿勢です。
そこには伝統文化が持つ「引き継いできた十のモノを十一にするための努力」とは別の「ゼロからイチを作る努力」という素晴らしさが見えます。

里見さんは、Tシャツやアパレルといったジャンルの中で物事を考えていません。
世の中のほとんどの人が誰かに決められた枠の中で活動をする中で、里見さんは自分なりの新しい枠を作る作業をしています。
何をどこまでやるか、そこに基準はありません。
全く新しい基準で新しい分野をゼロから作る作業を17年間続け、ファンを獲得しています。

「覚悟はない」という里見さんの言葉の裏側には、私たちが一般的に考えている「覚悟」とは違う、里見さんにしか持つことができない覚悟を感じます。

ただ破天荒なアイデアを出している訳ではない。新しい道を開拓するために、どんなことでも興味を持ち、繋がった人たちとのご縁を大切にする、地味で地道な積み重ねが確実にあることを感じました。

 

里見親美/親方(Chikayoshi Satomi/OYAKATA)

服飾デザイナー

◆略歴
1971年生まれ。空手3段、左きき。
1998年、和+洋+遊、UNCOOL IS COOL が基本コンセプトのブランド「PUNK DRUNKERS(パンクドランカーズ)」設立。
アパレルの枠を超えて多ジャンルにデザインを手掛ける。
2003年より現在まで展覧会(個展)やライブペインティングも頻繁に開催。
また近年、【あいつ】という気になるキャラクターを様々なフィールドで展開中。

PUNKDRANKERSオフィシャルWEB

Writer

masaya

八田雅也 Masaya Hatta

KAZOO(カズー)代表
ジャンルにこだわらず、魅力的なものを見つけ繋げる企画師。京都と東京を中心に活動中。
軸を持って生きる人、かっこいい生き方をしている人を探しています。